こんにちは。
シンガポールの出張ピアノ教室
fairy wish creation 講師の
塚越 則子(つかごし のりこ)です。
当ピアノ教室は、シンガポールで最も長い指導歴を持つ日本人のピアノの先生が主宰している、出張専門のピアノ教室です。
1992年来星。シンガポールPR(永住権)保有者。
シンガポールは日本とピアノ教室の事情が異なり、法律により、講師の自宅でお教室を開講することは認められていません。
当ピアノ教室は、シンガポール政府の定めた法律を遵守した、講師が生徒さんのお宅に出向いてレッスンを行う、出張ピアノ教室です。
講師 塚越 則子(つかごし のりこ)は、ヤマハ認定グレードにおいて、ピアノ、エレクトーンの演奏、指導共に最高位のグレードを保持する指導者であり、鍵盤楽器のプロフェッショナルです。
日本では緊急事態宣言が全面解除された初日の10月1日の昨日は、大型の台風16号が日本列島に接近していたため、天気の荒れが懸念されていましたが、一夜明けて今朝、台風は温帯低気圧に変わったようです。
早速、東京特派員から朝焼けに染まる、美しい空の写真が届きました!
さて今日は、山崎パンから学ぶ【プロフェッショナルの流儀】についてのお話です。
ピアノの先生と製パン会社に、どんな繋がりがあるの?
不思議に思われる方もおられるかも知れませんよね?
私は、音楽業界以外のフィールドで働く人たちから、プロフェッショナルの心意気や仕事に対しての姿勢を学ぶことを、普段から意識しています。
「良薬口に苦し」的な助言をしてくれたり、さりげなくたしなめて軌道修正を促してくれるのは、たいてい【異業種の同士】です。
私たち、音楽の世界で生きる人間の多くは、自分の好きなことへのこだわりが人一倍強く、目的の達成への信念が強い一方で、世間知らずで視野が狭くなってしまいがちです。
そのことを自覚しているからこそ、私は、第一線で活躍するビジネスパーソン達と積極的に交わる機会を持ち
異なる価値観や角度から物事に取り組む姿勢を学んだり、刺激を得ることを、ピアノ指導者としての自分自身の成長を促すために必要不可欠な要素だと感じており、常にアンテナを張り巡らせているのです。
「駄サイクル」という言葉が一時期流行ったのをご存知ですか?
これは主に、音楽サークルなど「自称アーティスト」が仲間内で、お互いを褒め合いながら、ぐるぐると循環している閉鎖的な関係性を揶揄した造語です。
初めて知った時、あまりにも核心を突いているので、思わず大笑いしてしまいました。
私の母は、私が「音楽だけの人」になって、偏った考えに固執することを嫌い、視野を広げたり、知識を深めるために、幼い頃からできるだけ色々な経験をする機会を与えてくれました。
高校時代の喫茶店でのウェイトレスの経験も、その一つです。その頃私はすでに、音楽の道へ進むと心を固めていました。
「きっともう今しかできないから」
そう両親に頼み込んで始めたアルバイトでしたが、本人の気合や真剣度は、残念なことに結果に全く反映されず(笑)今思い返してみても苦笑してしまうほどの働きぶりで
お持ち帰りのケーキにかけるリボンがうまく結べずに、店のすみっこで「特訓」になったり、コーヒーをこぼして叱られたりと、失敗は数知れず。。。
だけど、不思議とイヤだとか辛いとか、店長キライ!と思ったことは一度もありませんでした。
私は、自分が不器用なことを充分に自覚していたので、叱られるのはもっともだと感じていたし、どんな世界でも、仕事はそんなに甘いものではないと、厳しさを高校生なりに理解していたし
何よりも働くことが好きで好きでたまらなく、スタッフの一員として現場に立つときの緊張感を味わうことが楽しくて仕方なかったからです。
こんな私をクビにせず、根気強く育ててくださった、店長や先輩には、感謝の気持ちしかありません。
アルバイトの目的は、社会勉強のほかに、当時一世を風靡したデジタルシンセサイザー「DX-7」を手に入れることでした。
自分で働いて、自分で楽器を買う
このことは、私にとって大きな魅力でしたので、憧れの最新のシンセを手できた時は飛び上がるほどに嬉しくて、聞かれもしないのに
「アルバイトのお金を貯めて買ったのよ」
と、わざわざ自慢げに吹聴して
「へぇ、のりこちゃんもオトナになったねぇ、えらいじゃん!」
と目を丸くしながらオーバーアクションで驚く、心優しい先輩格の音楽仲間達の反応を受けて、自分も大人の仲間入りを果たせたような気分になり、すっかり満足感に浸っていました。お子ちゃまですね(笑)
プロフェッショナルには共通の思いがある。
ほどなくして本格的に音楽の仕事をするようになってから、私は
❤︎ピアノの先生
❤︎エレクトーンの先生
❤︎ブライダルプレイヤー
❤︎デモンストレーターとして、国内外のイベントでの演奏やコンサート出演
❤︎楽器店主催の個人のピアノ、エレクトーンの先生方への研修講師
❤︎アレンジャーの仕事
など、数々の仕事現場で経験を積むうちに、様々な業種の方々と、仕事を通じての交流をきっかけに意気投合して、仕事仲間の枠を越え、食事やコンサート、旅行などをご一緒したり、プライベートなお付き合いに発展することも増えました。
時にはお互いの仕事の夢を語り合ったり、仕事に賭ける想いや悩みを打ち明け合ったり、真剣な議論を交わすこともありました。そんな場面で、いつも感じていたのは
たとえ住む世界が違っても、プロフェッショナルの精神には共通した「熱いもの」がある
ということ。
揺るぎない自分の哲学を持ち、日々真剣に仕事に打ち込んでいる人達は、共通して一本筋が通っていて、相手の心を揺り動かす、強いエネルギーを放っています。
災害が起きた時に、避難所などへの食料支援に力を入れている企業があります。
製パン最大手の山崎製パン(本社・東京都千代田区)です。
昨年、2021年8月は九州北部や中国地方を中心に大雨による被害が相次いだ年でした。岡山県総社市が大雨に見舞われた際、山崎製パンは避難所の人たちに多くのパンを届けました。
避難所の生活に水や食料は欠かせません。総社市の片岡聡一市長は8月14日、自身のTwitterに
「避難所に早速、そっと差し入れが届きました。何という会社なのでしょう。本当に感謝しかありません」
と写真付きで、その様子を投稿。SNS上では、困った人を助けるアンパンマンになぞらえて「リアルアンパンマン企業」との声が上がりました。
また、広島県安芸高田市の石丸伸二市長も8月15日、
「急な依頼にもかかわらず、900個のパンを用意して下さいました。(当初は難しいという話だったようなので、相当のご配慮を頂いたものと思います。)本当にありがとうございました」
と山崎製パンから食料を調達できたことに感謝の意を綴りました。
支援の判断に特別な基準やルールは存在しない。
なぜ、山崎製パンはこのように迅速な支援が可能なのでしょうか。
それは、第一に、全国に生産工場を持っていることや、自前の配送トラックによる供給網を構築していることが大きいといいます。
仮に工場が被災しても別の工場から支援できるし、配送も他社に頼っていないため自社で判断して速やかに動けるというわけです。
また、食料支援をするかどうかは、特別な基準やルールが社内にあるわけではなく、「その時々の判断だ」(広報)といいます。
その都度、状況に応じて決断をしていく。万が一に備え、いざというときにも柔軟に対応できるだけの体制が、常時整っているというわけです。
2011年3月の東日本大震災時には、避難所が閉鎖される11月までの8カ月間にグループ全体で、パン約1500万個、おにぎり約800万個、飲料約100万本などを供給したといいます。
これは相当の数です。シンガポールの総人口が約570万人ですから、そのスケールの大きさが想像できますよね?
山崎製パンは「被災地への食料支援は食品企業としての社会的使命と考えている」と説明しています。
「これからも、その使命を果たせるよう供給体制の整備に努力を重ねていきたい」
「食料支援は社会的使命」
なんともかっこいい言葉だと思いませんか?
「コロナ禍での音楽支援は社会的使命」
世界的に厳しい状況は依然続いていますが、ピアノの先生として、音楽の力を必要としている人たちの願いに全力で応えていきたい!
そう、目指すは「ピアノレッスン界の山崎パン」♬
目標は高ければ高いほど、燃えるというものです。
これからも自分の使命を賭けて、より良いピアノ指導のために頑張ります!
♬追伸♬
記事を書いていたら、中学生時代に好んで食べていた、山崎パンの菓子パン「ナイススティック」を思い出しました!
一時帰国の時に、スーパーの棚においてある姿を確認しては「まだある!」と、その都度嬉しくなっていましたが
もう20年以上口にしていないことに気がついて、今、無性に、あのクリームの甘さが恋しくなっています。 よし!この次見かけたら絶対にカゴに入れよう♬
袋から出し、まず3つに折ってから、両隅から最初に食べて、真ん中を最後に残しておくのが私流。お楽しみは一番最後に取っておきたいタイプの1人です(笑)
当ピアノ教室のレッスンは、新時代にふさわしい、ワンランク上の心と音楽を学ぶレッスンです。