こんにちは。
シンガポールの出張ピアノ教室
fairy wish creation 講師の
塚越 則子(つかごし のりこ)です。
第26回目の発表会まで、あと3日となりました。
2022年の今年の発表会は、当ピアノ教室が開講して30年目の節目の開催となります。
そこで当公式ブログでは現在、開講からの30年のあゆみを振り返る特別企画として、歴代の生徒さん、保護者の方々から頂戴したメッセージをシリーズでご紹介しています。
【シンガポールで出張ピアノレッスン/30年のあゆみ】アニバーサリーイヤーに頂戴したメッセージより①
【シンガポールで出張ピアノレッスン/30年のあゆみ】アニバーサリーイヤーに頂戴したメッセージより②
【シンガポールで出張ピアノレッスン/30年のあゆみ】アニバーサリーイヤーに頂戴したメッセージより③
【シンガポールで出張ピアノレッスン/30年のあゆみ】アニバーサリーイヤーに頂戴したメッセージより④
【シンガポールの出張ピアノレッスン/30年のあゆみ】アニバーサリーイヤーに頂戴したメッセージより⑤
【シンガポールの出張ピアノレッスン/30年のあゆみ】アニバーサリーイヤーに頂戴したメッセージより⑥
【シンガポールの出張ピアノレッスン/30年のあゆみ】アニバーサリーイヤーに頂戴したメッセージより⑦
【シンガポールの出張ピアノレッスン/30年のあゆみ】アニバーサリーイヤーに頂戴したメッセージより⑧
【シンガポールの出張ピアノレッスン/30年のあゆみ】アニバーサリーイヤーに頂戴したメッセージより⑨
【シンガポールの出張ピアノレッスン/30年のあゆみ】アニバーサリーイヤーに頂戴したメッセージより⑩

テキストの著作者からのメッセージ
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「ぴあののアトリエメソード」著作者、山本英子先生より激励のお言葉を頂戴しました。
今日からの3日間は、26年前に当ピアノ教室の第1回発表会に参加された生徒さんのお母さんや、生徒さんご本人からいただいたメッセージをご紹介してまいります。
当ピアノ教室が開講した1990年代初頭といえば、まだインターネットやスマホが普及する前の時代。
シンガポールでの、人々の暮らしぶりも、今とは違っていました。
昭和を彷彿させるような人間関係が、日本人社会では浸透しており、たとえ知らない同士であってもお互い肩を寄せ合うようにして不便さを補い合いながら助け合い、工夫し、情報を共有しながら生活していたことを覚えています。
レッスン先では、流行りのドラマのビデオを貸していただいたり、「多めに作ったから」とお惣菜をいただいたりすることも。
終始なごやかでゆったりとしたムードが漂っていた一方で、移動には、今とは異なる過酷さがありました。
もちろんタクシーのオンコールなどもなく、移動にタクシーが必要なときは、流れているタクシーを拾うしか方法はありませんでした。
雨季のときは緊張しました。必死にグリーンのランプを目で追い求め、通りで手を上げ続けたものです。
全身からしずくが滴り落ちるほどに濡れてしまい、レッスン先でお洋服をお借りしたこともありました。
移動途中で靴が崩壊し、仕方なく裸足で歩いたこともありました。
雷雨をしのいでいたら遅くなり、急いで走ったら段差でつまづいてころび、膝をすりむいて血だらけになったこともあります。
それでも、いままでの30年間一度も、レッスン当日に、体調不良などの理由でドタキャンをしたことがないのは、私の密かな自慢です。
つらいとか、苦しいと思ったこともありません。
時には、落ち込むこともあるけれど….
レッスンに行く先々での優しさや笑顔に支えられて、今の私があります。
当時の生徒さん、おうちの方々が、ピアノ指導者としての私の礎を築いてくださり、ピアノの先生として、この地で生きることを決める覚悟の後押しをしてくださいました。
30年を振り返り、改めて感謝の気持ちがとめどなく溢れてくるのを感じています。あの頃の皆さんとの出会いがなかったら、私はとっくに、シンガポールで、出張のピアノの先生を続けることを、途中で諦めていたことでしょう。
まだ誰もやっていないことにチャレンジして、前に進んでいく勇気と希望を与えてくださって、本当にありがとうございました。
今日、ご紹介するのは、「さきちゃん」のお母さんからいただいたメッセージです。
9歳のとき、当ピアノ教室を卒業した「さきちゃん」は現在33歳になり、2歳のお子さんのお母さんとして、育児に仕事に奮闘しておられます。
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(さきちゃんのお母さんからいただいたメッセージより)
則子先生、なんだかとても懐かしく、嬉しいです😭
1993.12.25から1999.5月ごろまで、在星していました
年中から、小学3年生までです。
いつも、可愛いお洋服で笑顔でいらっしゃる則子先生が大好きで、レッスンも充実していて、楽しみなひと時でした。
シンガポールに在星中は初めてのピアノ発表会!
緊張もありましたが、子供ながらにすごく楽しんでいました。
良い経験だったと思います。
何年後かに移転して、新しくなった日本人会のピアノ発表会の会場は、子供達には素敵な心躍る大舞台でした。
今は、娘も一児の母となり、仕事と育児でなかなかピアノと向き合う時間がとれていませんが、もう少し子供が大きくなり、落ちついたら、一緒にピアノに向かう日が来るかな?来るといいなと思いますପ(⑅ˊᵕˋ⑅)ଓ
シンガポールの6年弱の生活の中で、ピアノのある生活は、異国の地での生活がまた潤い、充実したものにしていただきました。
則子先生、ありがとうございます。
これからのますますのご活躍楽しみにしています。
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第1回発表会当時、日本人会は、まだ今の場所にはなく、トムソンロード沿いの平家建ての建物で、施設も現在のように充実してはいませんでした。
発表会を開くことを決めたものの、手ごろなサイズのコンサートホールがなく、それこそシンガポール中をくまなく、あちこち探し回りました。
最後に頼ったのは、古巣のヤマハ。
交渉の結果、クレメンティのヤマハスクールで、一番大きなサイズのお教室を貸していただけることになり、当日は、自分たちで椅子を並べたり、生徒さん、お家の方々と一致団結して、お互いに協力しあいながら手作業で準備を進めていきました。
立派なステージやきらびやかなスポットライトはなかったけれど、みんな思い思いのおめかしをして、ピアノの演奏をたくさんの方々に聴いていただくことを楽しみに、ワクワクしながら一生懸命練習に励みました。
無事に晴れの日を迎えて、全てがとどこおりなく終わったとき、万感の思いがこみ上げたことを覚えています。
当ピアノ教室の発表会の歴史は、この日から始まりました。
忘れもしない1996年2月25日のことです。
頑張ることを楽しむ心を育てる
当ピアノ教室のレッスンは、新時代にふさわしい、ワンランク上の心と音楽を学ぶレッスンです。
ピアノを学ぶことを通して、これからの時代を生きるために必要な「人間力」を育てます。