こんにちは。
シンガポールの出張ピアノ教室
fairy wish creation 講師の
塚越 則子(つかごし のりこ)です。
1992年来星。シンガポールPR(永住権)保有者。
シンガポールで1番長い指導歴の、日本人のピアノの先生です。
シンガポールは日本とピアノ教室の事情が異なり、法律により、講師の自宅でお教室を開講することは認められていません。
当ピアノ教室は、シンガポール政府の定めた法律を遵守した、講師が生徒さんのお宅に出向いてレッスンを行う、出張ピアノ教室です。
Q&Aシリーズ⑩
先生のお宅でのレッスンはありますか?
講師 塚越 則子(つかごし のりこ)は、ヤマハ認定グレードにおいて、ピアノ、エレクトーンの演奏、指導共に最高位のグレードを保持する指導者であり、鍵盤楽器演奏のエキスパートです。
2021年3月11日、今日は東日本大震災の日から10年です。
忘れもしません。あの日は金曜日でした。次のレッスンに向かうタクシーの中で、たまたまチェックしていたネットのニュースに第一報が入り、関東地方も揺れたとあったので
すぐに、数少ない親族である、品川区で、1人喫茶店を営んでいる叔母のもとへ国際電話をしましたが、回線がパンクしているのか、全く繋がりませんでした。私は、2007年に母、2010年に父を空に見送っています。
【ママからのご質問②】ピアノをやめたいと思ったことありますか?
1番の親友へ送ったメールにも返信はありませんでした。胸騒ぎがしたことを覚えています。こんなことは初めてでした。
(友人は、その後無事が確認されました。都内から千葉まで徒歩で帰宅したそうです。。。涙)
あの日、レッスン先で保護者の方に地震発生の話を伝えると、最初の2件では
「ああ、でも家は、都内だから大丈夫です」
「東北ですよね?うちは関係ないです」
といった受け応えだったのが、次第に時間が経過するにつれ
「先生!日本が大変なことになってしまって。。。さっきからテレビを付けっ放しにしているんですが、速報がどんどん入っているんです」
と緊張感を増してきて、遂に、その日最後のレッスン先では、普段落ち着いているお母さんが、いまにも泣きそうな表情で、ソワソワと落ち着かない様子なのを見て、〈やはり、これはただごとではない〉との確信を一層強め、胸の鼓動は早まるばかりでした。
レッスンを終えると、飛ぶようにして帰宅したことを覚えています。
帰宅して真っ先につけたNHKには、現実とは思えないような光景が映しだされていました。身体が震えました。画面を見つめて呆然としながら、涙が流れるのを抑えられず、食事を摂ることもできませんでした。
チャリティ音楽イベントの開催への思い。
数日が経ち、海を隔てたシンガポールでも、自分たちの国のために自分が出来ることをしたいと立ち上がる日本人の人たちのムーブメントがあちこちで沸き起こり、それぞれの持ち場から被災地を応援していこうという取り組みが、次々と打ち出されていくようになりました。
そんな中、復興支援として開かれた、一つのチャリティイベントに出向いた際、私は心に違和感を感じ、自分だけが取り残されたような気持ちになって、その場にいることができなくなり中座してしまいました。
お揃いのスタッフTシャツや同じロゴのスタッフバッヂ
弾けるような笑顔
スタッフ同士の明るい掛け声
溢れんばかりの人でごった返す先の、ステージに立っている人たちは、こんな大勢の人たちを前にパフォーマンスを披露するのは、初めての経験だったのでしょう。
紅潮して、陶酔しているような顔が、それを物語っていました。
私にできることは音楽しかない。だけど、誰かを勇気づけたり、笑顔にしようと考えることは、おこがましい。
悲しさを歌った曲ばかり弾きながら、そんなことばかり考えていました。
負けない
強くなる
そんな言葉に拒否感を覚えました。
悲しむことすらできないほど、悲しささえ自覚できないほどに打ちひしがれている人たちに、頑張れ!前を向け!なんて、酷なことは、私には言えない。
「応援する」なんて次元を遥かに超えている現実を前に、自分のできることは一体何なんだろう。。。ひたすら悩み抜きました。
音楽は、苦しみや悲しみから心を解き放つチカラを持っていることを、音楽と生きている立場の1人として示したい、こんな不安なときだからこそ、知らない同士でも音楽で繋がっていたい
考えた末に私が出した結論は、ノンストップで4時間ピアノを演奏し続けるイベントを開催することでした。事前にリクエストも募り、100曲集め、全て弾きました。
当時「グルメ会」と称して、定期的に美味しいお食事とお酒を楽しんでいた、駐在員奥様の仲間たちに声をかけると、全員スタッフとして協力してくれることを、即座に快諾してくれました。
そのうちの1人に、得意のマンダリンを活かして(シンガポールの前は、北京駐在でした)当時流行していたC-POPの曲を歌ってほしいとお願いしたところ、心よく引き受けてくれて、私の自宅での練習にも何回か訪れてくれたりと、準備にも全面的に協力をしてくれました。
私が選んだC-POPの歌は、光良の「童話」です。
この歌は、2008年に起きた四川大地震で、中学校に取り残された生徒と先生たちが救助を待つ間にお互いを励まし合って歌っていた歌として話題を呼んだことを知っていたからです。
「童話」は、中華圏において、知らない人はいないほどの人気の歌で、歌詞は「幸せな結末を信じている」という内容の美しいバラードです。
イベントを一緒に開催した仲間たちは、現在日本、1人はドイツにとみんな離れていますが、今も時々やりとりをしたり音楽で繋がっています。先日もドイツにピアノメッセージを届けたばかりです。
シンガポールのピアノ教室/バレンタインデー2021「瞳をとじて」を弾きました♬
シンガポールに移り住む前、私は、ヤマハのデモンストレーターとして、日本国内、海外で活動をしていました。
シンガポールにも、イベントでの演奏や新製品発表のプレゼンテーション、講師研修などで数回訪れています。
このチャリティイベントの構想が固まってすぐに、私は「古巣」である、ヤマハシンガポールに、イベントの話をしたところ、当時日本から駐在でシンガポールにおられた、アジアパシフィックエリアのDirector が、趣旨に大変共感して下さり
「是非、塚越さんのイベントに協力させて下さい」
と、電子ピアノクラビノーバの、ステージ限定モデルの最高機種の提供のお申し出があり、楽器の搬入、搬出からセッティング等に至るまで、楽器に関することの一切を、ヤマハシンガポールが、全て取り仕切ってくださいました。
記録を残す余裕などありませんでしたが、これは、スタッフの1人が撮ってくれていた、唯一の一枚です。
多くの方のお力添えによって、予想を遥かに超えた寄付金が集まり、イベントは無事に幕を閉じました。
その影には、シンガポール人の方達のさりげないけれど、温かいサポートの数々がありました。このエピソードもその一つです。
イベントが後半へと差し掛かった頃、思いがけないサプライズがありました。
知り合いのシンガポール人の方が、持参してきた手作りの特大ケーキを、楽器のそばのテーブルに置き、突然マイクを持ったかと思うと
「私の手作りのケーキをどなたか買ってくださいませんか?」
びっくりしている私達の前で、どんどん手が挙がり、どんどん値段が跳ね上がっていきます。
最終的に、そのケーキは、何と$5000ドル(日本円で約40万円)で「落札」されました!!
シンガポールに住んでいると、シンガポール人には親日家の人たちがとても多いことに、皆さん、驚かれることが多いですよね?
特に小さなお子さん連れには、大変優しく手を差し伸べてくれます。
今、このコロナ禍においても、自由な空の行き来が再開したら真っ先に日本に遊びに行きたいと、その日を待ちわびている人がたくさんいます。とてもありがたいことですよね。
どんな時も音楽の力を信じて。
以前予断を許さない状況が続いています。試練の時は続いていますが、私たちの見えないところで日々、身を削るようにして人々の平和な暮らしのために尽力を尽くしておられる方々がいます。
今日も10年前と同じような、暑い午後になりそうです。
静かに黙祷を捧げ、日常に感謝して、音楽の力に感謝して、自分の持ち場で、今日も私は、いつも通りに、自分の全力を尽くします。