こんにちは。
シンガポールの出張ピアノ教室
fairy wish creation
塚越 則子(つかごし のりこ)です。

 

 

 

「ありがとうシリーズ」。今日は第三弾です。
第一弾
第二弾

 

 

レッスンの帰り、最寄りのショッピングモールのフローリストが開いていたので立ち寄り、目に留まった赤い薔薇と一緒に帰宅。久しぶりにお花を飾りました。
スペースが一気に明るく華やかになりますね。

 

お花屋さんのお花も素敵ですが、道端に咲く素朴な小さい草花も好きです。
たんぽぽやクローバーやレンゲは幼い頃の、いわば仲良しの遊び仲間みたいな存在だったので、今も一時帰国の日本で、可憐に咲く姿を見かけると「久しぶり、元気だった?」と思わず立ち止まってしゃがみ込み、話しかけたくなります。

 

 

そこにあるだけで周りの空気が生き生きとして艶やかな色彩を帯びるのは音楽も同じですね。お花は黙っているし、音楽は見えないけれど。

 

 

 

 

先日、音楽仲間の1人と音階で頭に浮かぶ色についての話題で盛り上がりました。私と彼女の感じ方は、ほぼ共通です!

 

 

C(ハ長調)
F(ヘ長調)
G(ト長調)

 

それぞれ白、青、緑、です。

 

 

 

A(イ長調)に関しては
彼女は赤、私はオレンジ、です。

 

 

私はぼんやりですが、彼女は例えばG(ト長調)の曲を弾いているとき、頭の中は鮮明に周り一面が緑の草原になっているのだそうです。共感覚、といいます。味で音を感じる人もいますよ。音楽に限らずアーティスト気質の人に多いと言われています。

 

 

私は色とは別に「それぞれの音の持つ性格」も感じます。

 

 

 

 

賑やかにはしゃいでいる、
かしこまっている、など。

 

「シ」の持つ、ひたむきさや健気さの中にある切なさのスパイスに心惹かれます。

 

 

五感を磨く、という言葉があるように、音に関しての感性を研ぎ澄ましていくには、耳だけからのアプローチでは不十分かつアンバランスであり、もったいないことです。

 

 

五感をフル活用することは回り道のようでも結果的にはピアノ演奏に必要な感覚を効率良く育んでいることになります。ピアノを弾いている時に限らず、それらは日々の生活を見渡すと、あちこちにたくさん散らばっていますよ。拾い集めてみましょう。

 

 

グラスを持つ時にそっと気をつけて持ったり
小さなビーズをつまむときに落とさないように神経を集中させたり

 

 

身体の動きや感情も含めて、それらは全て小さな音を出す時のピアノ演奏の技術を習得する時に必要なイメージ作りに直結しています。

 

 

ピアノを感情豊かに奏でるには、鍵盤に直接触れる指先の感覚の違いを「繊細に、かつ敏感に感じ取る感性」が必要となり、これらは教わって身につけることではありません。自分の中に眠っている「繊細に、かつ敏感に感じ取る感性」を呼び覚まして、一つ一つ丁寧に磨きをかけていくような作業です。

 

 

ああ、この時にはこうしたな、こんな風に感じていたな、というたくさんの経験が詰まった記憶の引き出しから同じ感覚を探してきて錆び付いていたならば磨きをかけて、ピアノの鍵盤で音としてそれを再現していくのです。

 

 

単に指をこうやって動かす、とか形だけを一生懸命に真似しようとして見たまま言われたままをその通りにやろうとするだけでは音と感情は乖離していて単なる「音ならべ」です。

 

 

音に演奏者自身の息吹が感じられて気持ちが入っているからこそ聴く人の気持ちが動き、演奏者にもその振動が伝わってお互いが共鳴して感動が生まれ、初めて音楽になるのです。

 

 

私達ピアノ指導者が教えるのは、それぞれが目指す音を出すための手立てであり、目指す音そのものではありません。

 

 

ピアノを奏でる喜びは人それぞれであり、ピアノを奏でることで叶えたい夢は人それぞれ違います。最終的に出したい音、目指したい音を自分で見つけ出して、ピアノを奏でる自分だけの喜びをレッスンを通して見つけ出していくのは生徒さん達一人一人です。

 

 

自分だけの奏でる喜びを知るのに年齢や音楽歴は一切関係ありません。
プロの中にも、プロになって初めて、それが見つけられないことに人知れず悩み苦しみ、挫折する人も大勢います。

 

 

 

 

 

ピアノ指導者として生徒さんの「心・技・体」をいかにしてバランスよく磨いていくか、その難しいけれどだからこそやり甲斐のあるピアノ指導の永遠のテーマに思いを馳せる時、小学生時代のピアノやエレクトーンの先生から口酸っぱく言われた「ピアノやエレクトーンが上手になりたかったら練習だけじゃなく、綺麗なもの、美しいものに出来るだけ多く触れなさい」と言われたことの意味の奥深さを痛感しています。

 

 

音楽には万人に共通の正解などありません。
花にも咲き方に正解などないように、一人一人が感じるきれいな音、美しい音は違います。また評価することではありません。

 

 

咲いた、咲かなかった、出来た、出来なかった、はあっても

正しく咲いていますね。
上手に双葉が開きました。
そんな表現はしないですよね?

 

 

太陽は赤くないと間違いでしょうか?赤道直下の常夏の国であるシンガポールには太陽を黄色く描く子がたくさんいます。それぞれが見たまま感じたままを描く。ピアノもそれぞれが感じたままの音色を自在に奏でることで、奏でる音は芸術へと昇華され、ピアノレッスンの情操教育としての価値が生まれるのです。

 

 

お花は黙っているようだけれど、静かに色々なことを語りかけてくれる、実はお話好きさん。ピアノ指導について自分の存在を示してその大切な奥義を改めて伝えてくれました。

 

 

ありがとう、お花♡