こんにちは。
シンガポールの出張ピアノ教室
fairy wish creation
講師の塚越 則子です。
今日はシリーズ最終日です。
📌1日目はこちら。
📌2日目はこちら。
3日目の今日お届けするのは、コブクロの「蕾」。
この曲を弾くのには正直迷いがありました。
母が他界した2007年、街のあちこちで、この曲が流れていたからです。
「東京タワー 〜オカンとボクと、時々オトン〜のテーマ曲としても大ヒットしました。
この曲を聴くと、あのときの情景がリアルに蘇ってしまう
でも、だからからこそ、弾くことに自分なりの意味があるのではと思い直し、弾くことにしました。
母がいた病院に毎朝通った道に咲いていたアジサイの花たちが生き生きと元気なことにさえも嫉妬し、ひそかに悔し涙を流した日々。
唯一の慰みは、病院わきのLAWSONに寄ることでした。
だんだんと「してあげること」が減っていっても希望を持ち続けようと懸命だったけれど、ある日の夕方、見てしまったんです。
ナースステーションで、1人の看護婦さんが、こう呟きながら嗚咽していました。
「塚越さん、急に悪くなってしまった」
元来優等生タイプの母は、常に誰にでもやさしく接し、病院でもみなさんから好かれていました。
シンガポールからお菓子を持っていくと決まって、自分が食べるよりも先に、別の病室の方にお裾分けをするように促しました。
「珍しいものだから、独り占めしちゃもったいないでしょう」
と真剣な顔で言うのです。いくつになっても子どもみたいに純真なところがありました。
痛み止めのモルヒネを打つ回数が増え、意識が頻繁に飛ぶようになった夜、病室のドアに折り紙で折った鶴が置いてありました。
誰かが届けてくださったようです。
鶴は、母の好きな紫色でした。
私たちに残されている時間は、もうわずかしかないと悟った私は、主治医の先生に許可をもらい、その日から3日3晩、病室に泊まり込み、夜はパイプ椅子に座って休みました。
どうにも身体がつらくなって、しんと静まり返った病院で深夜、1人きりで何時間も階段にしゃがんでいたことがあります。警備員さんから咎められなかったのは、そっとしてくれていたからに違いありません。
母が旅立ってしまった日、初めて「こんなところに、こんな扉があるんだ」と知り、初めて通る通路から外に出て、手配していた車に父と乗り込み、棺に入った母と一緒に家に帰りました。
頭上では月が上品な輝きを放ち、まぶしく光っていました。静かで美しい夜でした。
そんなことを次々と頭の中で思い返しながら弾いていたせいでしょうか。
不覚にも小さなミスをしてしまいました…
でも、新たに収録せずに、そのまま公開します。
どこよりも手厚く、きめ細やかなピアノ指導で、シンガポール在住日本人ご家族との信頼の絆を築いて34年。
頑張ることを楽しむ心を育てる
当ピアノ教室のレッスンは、ワンランク上の心と音楽を学ぶレッスンです。
ピアノを学ぶことを通して、これからの時代を生きるために必要な「人間力」を育てます。
当ピアノ教室は、300人以上の生徒さんたちを育て上げた経験を持つ、シンガポールで一番長い指導歴の日本人のピアノの先生が主宰している出張専門のピアノ教室です。