こんにちは。
シンガポールの出張ピアノ教室 fairy wish creation
講師の塚越則子です。
今日は、則子先生の「音楽歴」を振り返るシリーズの5日目です。
📌シリーズ1日目は、こちら。
📌シリーズ2日目は、こちら。
📌シリーズ3日目は、こちら。
📌シリーズ4日目は、こちら。
合歓の郷で実施されたオーディションのリハーサルで、夕食をお腹いっぱいに食べたために思うような演奏ができなかったことは、昨日の前編でお話しました。
スケジュールを終了し、おのおのの部屋に戻って、母と2人きりになった私を待っていたのは、予想だにしない展開です。
「どうして?」と問われるよりも先に、自分から
「お腹がいっぱいで苦しかった」
と弁解をすると、母は一瞬虚ろな目をしたあと、さめざめと泣き始めました。
そして、こう言ったのです。
「先生に申し訳ない」
そして、意外な事実を伝えたのです。
「先生は熱があるのに、無理して来てくれた」
と。
私はハッとしました。
ああ、だから、出発の時、東京駅の新幹線ホームにまで、先生のご両親がお見送りに来てたんだ!
心配して。
本当は、行かせたくなかったに違いありません。
だって、遠くから手を振っている表情が、険しいように見えたから。いつもと様子が違うなと不思議に思っていたんです。
「則子ちゃんには黙っててください」
と母は念を押されていたのだといいます。
なぜなのか、私にはその理由がすぐわかりました。
そして激しいショックを受けたのです。
その夜、母はそれ以上、何も言葉を発することなく、黙って、さっさとお風呂に入り、すぐに寝てしまいました。
一方で私はその夜、布団に入り、じっと暗闇の中で寝たふりをしながら、どうしたらいいのかを、ずっと考えていました。(母は、このことを知らないまま、一生を終えました)
どんなに考えても結局、答えは見つからなかったけれど…
やがて夜が明け、朝食の席では先生に自分から声をかけました。黙ったまま、知らんぷりをして「流してしまう」のは、とても失礼だということだけは、はっきりとわかっていたからです。もう6年生ですからね。
「先生、昨日はごめんなさい。今日は頑張ります」
と。それだけ、一言伝えました。
「お腹が苦しかった」というのは正当な理由のように思えますが、うまく弾けなかった理由を、どんなに並べたところで全く意味はありません。
だって、言葉で言えたところで指が動くわけじゃないし、弾けるようになるわけではないじゃないですか‼️
弾けなかった事実を認めずに、言い訳に逃げているだけじゃないですか‼️
だから、そういう理由は自分の胸だけに納めて、次に活かす努力をするべき。
それだけが、私が一晩考えた末に、やっとたどり着いた、揺るぎない真実でした。
厳しい言い方になりますが
手がつめたかったから
汗ですべったから
間違えた、本番で、いつもみたいに弾けなかった
そういう説明って無意味です。だって
手がつめたくたって、すべったって、うまく弾ける人は弾けますし、うまくピンチを切り抜けられます😊
だから、言えば言うほど、時間を割けば割くほど
みっともない
そう思うんです。
黙って、次にどうしたらいいのかを考えて、それを実行してこそ成長できるのですから。
そのあと実施された、オーディションの本番で、私は、どんな演奏をしたのか、実は、よく覚えていません。
ただ、真心をこめて、一音、一音、丁寧に弾きました。
一瞬、一瞬に全力をかけて、自分のすべてを出し切ったと自信を持って胸を張れると思いました。
演奏を終え、川上源一社長から格別のお言葉をいただいたことは覚えていますが、どんな言葉だったのか覚えていません。
でも、すべての演奏が終わり、審査を待つあいだ、見知らぬ大人たちが、かわりばんこに私のそばに来て
「塚越さん、おめでとう」
「則子ちゃん、おめでとう」
と言って、拍手をしたり、握手を求めてくださいましたので
よかったのなかぁ
と。
「社長さんに褒めていただいたことは、そんなにおめでたいことなんだなぁ」
と、ぼんやりと思いながら、ふと母と先生の方に視線を移すと、やはり大勢の方々が、興奮気味にお祝いの言葉をかけてくださっており、軽い人だかりができていました。
2人の笑顔を見て、心からほっとしました。
無事にやり遂げた、終わった‼️
心を占めていたのは、緊張から解き放たれた
開放感
のみです。
しかし、ここからが、本当の始まりでした。
程なくしてアナウンスが入りました。
「ベネズエラは〇〇〇〇さん」
「オーストラリアは
塚越 則子さん」
え!!!!!
なんと私は、この年のヤマハジュニア・オリジナル・コンサート(通称JOC)の、国内トップメンバーの1人に選出され、オーストラリアで親善演奏をすることになったのです。
小学6年生、11歳の夏のことです。
シドニーとメルボルンでコンサートを実施し、10日間滞在とのこと。
このときを境に、私を取り巻く環境は一変しました。
ヤマハの担当者の方が、学校に、私の音楽活動への理解を求めるために(早退や欠席をせざるを得ないことも、たびたびあったのです)、校長先生に直々に面会を求め、ご挨拶してくださったことをきっかけに、音楽の先生の態度が変わり、ご挨拶をしても一切目を合わせてくれなくなりました。
それまでも「なぜか私は嫌われている」と自覚していましたが、成績は卒業するまで、どんなに頑張ってもずっと、5段階評価の4でした。
ヤマハ音楽教室の宣伝に起用され、読売、朝日、毎日、日経の全国紙に、演奏している顔写真とプロフィール付きの全面広告が出た時は、それまで親しかった近所の人たちから「あの親子は気取っている」と陰口を言われました。
一緒に学んできた音楽仲間の中には、親子で嫌味を言う子や、見切りをつけて音楽をキッパリやめる子もいました。
「うちの子の方ができるのに」
と面と向かって、激しい口調で言われたこともあります。
生徒間で連絡網のようにしていた、グループで受けていたリズムトレーニングのレッスンのスケジュール案内が、私にだけ不思議と届かないことも度々ありました。
そんなことが続くたびに母は私の心情を思い、心を痛めていたようです。でも私はへっちゃらでした。
もちろん何も感じなかったわけではないけれど、鍵盤に向かっているとね、そんなこと、ちっぽけに、どうでもよく思えたんですよ。
それは、大人になったいまも同じです。
いろいろ言う人がいます。
いろいろ「してくる」人がいます。
わざとなのか、わざとじゃないのか
意識しているのかしていないのか
もちろん心が動かないわけではないけれど
大丈夫、いいんです😃
だって
私には音楽があるもの。
だから断言します。
音楽をやっているといいことがあるよ✨
明日はシリーズ総集編です。
どうぞお楽しみに✨
◆オーストラリア演奏記より◆
オーストラリア滞在中に同室だった、一歳年上の、松木美和子ちゃんとの一枚。
どこよりも手厚く、きめ細やかなピアノ指導で、シンガポール在住日本人ご家族との信頼の絆を築いて34年。
頑張ることを楽しむ心を育てる
当ピアノ教室のレッスンは、ワンランク上の心と音楽を学ぶレッスンです。
ピアノを学ぶことを通して、これからの時代を生きるために必要な「人間力」を育てます。
当ピアノ教室は、300人以上の生徒さんたちを育て上げた経験を持つ、シンガポールで一番長い指導歴の日本人のピアノの先生が主宰している出張専門のピアノ教室です。