シンガポールの出張ピアノ教室/則子先生の子ども時代のことを、お話します④〜ターニングポイントは小6〜前編。

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こんにちは。
シンガポールの出張ピアノ教室 fairy wish creation
講師の塚越則子です。

 

今日は、則子先生の「音楽歴」を振り返るシリーズの4日目です。

 

📌シリーズ1日目は、こちら。

 

シンガポールの出張ピアノ教室/則子先生の子ども時代のことを、お話します①〜ピアノを習い始めたころ〜

 

📌シリーズ2日目は、こちら。

 

シンガポールの出張ピアノ教室/則子先生の子ども時代のことを、お話します②〜ピアノを習ったきっかけ〜

 

📌シリーズ3日目は、こちら。

 

シンガポールの出張ピアノ教室/則子先生の子ども時代のことを、お話します③〜レッスン継続の危機⁉️〜

 

あれは忘れもしない、小2のとき。

 

先生からの勧めで、作曲に挑戦することになりました。

 

その前から、耳を鍛えるために、レコードコピー(レコードの音を聴き取り、譜面に書く)の勉強や和声(和音の規則やハーモニーの仕組みを指す音楽用語)をレッスンの中で習い始めていたのですが

 

なるほど、ここにつながるのか😃

 

と、腹落ちしたことを覚えています。

 

「演奏技術を磨くためには、音楽の仕組みも知っておいたほうがいい」

 

「自分のオリジナル曲を作ると力がつく」

 

というのが、先生のお考えでした。

 

多角的に学びを広げつつ、才能を伸ばしていこうという、有能な先生ならではのご指導です。

 

え、作曲?

 

全く想像していませんでしたが、親娘で

 

「そうなのか😃」

 

「先生が、そうおっしゃるなら」

 

「できるかも」

 

と、二つ返事で、未知の領域に足を踏み入れる決断をしました。

 

とはいっても、1番はじめに取り組んだのは

 

「ちょうちょう」のコードに乗せて、自分でメロディを考えるといった、ごくごく初歩的なスタイルです。

 

それでも、自分で考えたものが形になって音になる喜びがあり、これまでに感じたことのない達成感が胸に広がりました。

 

少しずつ課題の難易度が上がっていくたびに、どんな発見があるのだろうとワクワクし、その思いはどんどん加速して行きました。

 

そして、小3になって作曲したのが

 

「こどものまつり」

 

です。

 

その頃から、ヤマハ音楽振興会の主催する、ジュニア・オリジナル・コンサート(JOC)の活動に参加させていただき、自分の曲を演奏する機会をいただけるようになりました。

 

東京タワーで開催されたNHKの子どもテレビ番組のイベントに招かれ、夏休みの1ヶ月間、毎日エレクトーンを演奏したのも、この年です。

 

初めてのテレビ出演もありました。

 

 

 

 

そして、ピアノ、エレクトーンと併せて、現役の作曲家にも師事し、本格的に作曲法も学ぶことになったのです。

 

小4のときに作曲した

 

「SLの旅」

 

は、浜松のヤマハ本社で行われた、全国から集まった子どもたちが演奏を披露する会で、当時のヤマハグループの社長である、川上源一さん(2002年没)に聴いていただき、大変褒めていただきました。

 

こどもらしいのびのびとしたメロディで

 

素直でいい‼️

 

とのお言葉を頂戴し

 

このことがきっかけで、私は、ヤマハ音楽振興会の担当スタッフたちに注目され、少しずつチャンスをつかんでいったのです。

 

◆川上源一社長をご存知ない世代の方へ◆

 

川上源一氏は、歌手の中島みゆきさん(株式会社ヤマハミュージックコミニケーションズ取締役、一般財団法人ヤマハ音楽振興会理事でもあります)を見い出した人物としても知られ

 

本業の楽器製造に加えてオートバイ、スポーツ用品、レクリエーションなど各種事業を創業し、社業の業績向上と多角化に大きな成果を挙げて、ひとつの時代を築いた、ヤマハ中興の祖ともいわれている人物です。

 

カリスマ的な魅力と、たぐいまれなリーダー力を発揮する一方で、強烈な個性とワンマンぶりから、社内では恐れられる存在でしたが

 

わたしたち、音楽を愛する子どもたちには、いつも優しかった。しかし

 

大人の手がかかった作品を鋭く見抜いて指摘したり、技巧に走った演奏を極端に嫌い、歯に衣着せぬ言葉で叱責するなどの厳しい面もありました。

 

ある公開クリニックで、演奏にとても自信のある子が

 

「あなたの演奏には命がない」

 

とバッサリ言われたことがありました。

 

音楽に心が宿っていないというわけです。

 

真の音楽を見抜く天性の才能を持ち、何よりも心を大切にする、まっすぐで正直な方でした。

 

川上源一社長には、折に触れ、本当に大変お世話になりました。

 

話を進めましょう。

 

小6の時に作曲した曲は、私の一生を左右する一曲となりました。

 

「グリーンヒル」

 

タイトルは、仕上がりを聴いてくれた、先生のお弟子さんのお1人であった「宮崎さん」という男性が、その場ですぐにつけてくれました。

 

「さわやかなイメージだね」

 

「この曲には英語が似合う」

 

と言ってくださいました。知的な方でしたので、その言葉が、ことさら嬉しかった。大人の仲間入りができたような感じがしたのです。

 

この曲で、私は全国の子どもたちが集まって、自作の曲を演奏する、ヤマハ主催のオーディションが開催される「合歓の郷」に行くことになりました。

 

何のためのオーディションかは知らされていませんでしたが、先生の同行も義務づけられていたため、何か大きなイベントのメンバー選出に違いない、などと親娘であれこれ想像を巡らせていました。

 

先生は

 

「テレビぐらい、でられたらいいよね」

 

と。

 

その口調から、私は「主力メンバー外なのだ」と瞬時に理解しましたが

 

落ち込んだりはしませんでした、むしろ気楽になったのです。

 

何しろ、全国から選りすぐりの優秀な子どもたちばかりが集うのですから、かなうはずなどありません。

 

北海道の〇〇ちゃんが来るって!

 

仙台の〇〇ちゃんも!

 

名古屋の〇〇ちゃんも!

 

大阪の〇〇くんも!

 

 

演奏会で何度か顔を合わせたことがある音楽仲間たちと久しぶりに過ごせる、演奏が聴けるとあって、楽しみで仕方ありませんでした。

 

しかも泊まりがけ✨

 

私は、5年生のときの林間学校もレッスンがあったので欠席しました。

 

同年代の子どもたちとの「お泊まり」は、当時、音楽仲間としか経験がなかったのです。

 

自分の演奏のことそっちのけで、すっかり舞い上がっていました。

 

夕食はバイキング。

 

子どもなら誰だって興奮しますよね。

 

私は食の細いタイプでしたが、顔馴染みの子たちと一緒のこともあり、すっかり気が大きくなって、わいわい騒ぎながら、たくさんふざけ、無邪気に笑い転げ、いつも以上にお腹いっぱい、苦しくなるまで食べました。

 

大満足でした。

 

そして…

 

失態を犯してしまうのです。

 

 

 

夕食のあとに実施されたリハーサルで、止まったり戻ったり、音をはずすなどの明らかなミスタッチはなかったものの、思うような演奏ができませんでした。なぜなら

 

お腹が苦しくて、集中できなかったのです😩

 

ああ、なんということでしょう….

 

続きは明日。

 

◆おまけ◆

 

写真は、小学4年のときのヤマハ主催の音楽合宿にて。仲良しの純子ちゃんとの一枚。

 

ニットは母の手編み、スカートは母のお手製です。

 

 

どこよりも手厚く、きめ細やかなピアノ指導で、シンガポール在住日本人ご家族との信頼の絆を築いて34年。

 

頑張ることを楽しむ心を育てる 

 

当ピアノ教室のレッスンは、ワンランク上心と音楽を学ぶレッスンです。

 

ピアノを学ぶことを通して、これからの時代を生きるために必要な「人間力」を育てます。

 

当ピアノ教室は、300人以上の生徒さんたちを育て上げた経験を持つ、シンガポールで一番長い指導歴の日本人のピアノの先生が主宰している出張専門のピアノ教室です。

プロフィール
 
 当ピアノ教室の指導コンセプト(教育理念)について

 1992年来星。シンガポールPR(永住権)保有者。
 
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