シンガポールの出張ピアノ教室/♯1496 今までで1番つらかったこと。

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こんにちは。

シンガポールの出張ピアノ教室
fairy wish creation

講師の
塚越 則子(つかごし のりこ)です。

 

今日は、ちょっぴり重たい内容です。

 

先日、当ピアノ教室では、公式ブログ毎日投稿1500日達成を目前に控え、特別企画の一環として、生徒さん、保護者の方々にアンケートを実施させていただきました。

 

 

 

ご多忙の中、お一人お一人とても丁寧にお答えいただき、明日への活力をたっぶりいただいたのですが

 

 

 

約1年前に来星された、生徒さんご家族から、こんなご質問を受けたことをきっかけに、久しぶりに過ぎ去りし、かつての自分に思いを馳せました。

 

 

 

 

 

 

私が

 

 

 

自分の力を試してみたい

 

 

 

と思い立ち、数年越しで情報を集め準備を重ね、たった1人でシンガポールに移住したのは1992年の6月。音楽業界でそれなりにキャリアを重ねた20代後半のときです。

 

 

 

仕事もプライベートも充実していましたし、生活に何の不満もありませんでしたが…どうしてでしょうね?

 

 

 

今思い返しても、まるで《何かに突き動かされるような感覚》だったとしか表現できません。

 

 

 

人づてに紹介していただいたオーディションに体当たりで挑み、いたく演奏を気に入っていただき、即決でグッドウッドパークホテルのピアニストの仕事を得たのは、1ヶ月の滞在VISAが切れる、ちょうど1週間前でした。

 

 

 

それまでは、ヤマハのデモンストレーターの仕事で、シンガポールを含めて国内、海外の出張は頻繁にあったものの、一人暮らしの経験は一度もありませんでした。

 

 

 

幼少時代は人見知りで引っ込み思案な性格だったこともあり、どちらかというと、親の庇護のもとで過保護に育ってきた自覚があります。

 

 

 

この歳になって、よくよく考えると、両親は、よく許してくれたものだと思います。心配や不安は当然あったはずなのに、そんな素振りは一切見せず、「則子ちゃんなら大丈夫」とひたすら娘を信じ、常に心から応援してくれました。

 

 

 

その頃のシンガポールは、治安は抜群によかったものの、まだ経済発展を遂げる前の、のどかな東南アジアの国の一つでした。

 

 

 

まだ携帯電話もなく、インターネットも一般には普及していない時代です。

 

 

 

当時の私といえば、やる気と勢いだけは人一倍あるものの、言葉もおぼつかなく、わからないことだらけの頼りない有様で

 

 

 

日常生活では意思がうまく伝わらないことや行き違い、失敗などはしょっちゅうでしたが、若さゆえの楽観さも手伝ってか

 

 

 

まぁ、そんなもんだろう

 

 

 

とカラッと受け流し、前向きに気持ちを切り替えることができました。決して強かったからではありません。

 

 

 

実際、その時々では、泣いたり、怒ったり、その都度、感情が揺さぶれて、たくさんの涙を流していたのは事実なのですが

 

 

 

いざとなったら、日本に帰ればいい

 

 

 

そんな、ある種【開き直った気持ち】が、私をガッシリと支えてくれていたのです。

 

 

 

いつでも帰れる!

 

 

 

そう思うと、まだまだ限界に達してないな

 

 

 

と、不思議と勇気が出てくるのでした。

 

 

 

優等生ぶったように聞こえてしまうかも知れませんが

 

 

 

これまでとは全く環境の違う異国の地で暮らすのだから、いろいろなことがあって当然だと、自分なりに覚悟を決めて移住してきたので

 

 

 

これまで実に様々なことがありましたが、シンガポールでの暮らしの中で、芯からつらい、もうダメだと、志が揺らいだことはありません。

 

 

 

常に心に防犯チョッキを着て、防御体制を崩さずにいる感覚といえば、わかりやすいでしょうか。

 

 

 

 

そんな私ですが、たった一度だけ、つらくてつらくて、どうしようもなかったことがあります。それは

 

 

 

母を空に見送ったとき

 

 

 

徐々に病気が進行していく恐怖の中、急な報せを受けて急いでエアチケットを取って飛び乗った、あの夜のフライトのことは、おそらく一生忘れないでしょう。

 

 

 

でもね

 

 

 

そのときだって、つらかっただけではないんですよ。

 

 

 

ある方が救ってくださったのです。

 

 

 

則子先生の「Another Sky」エピソード。

 

 

 

あのCAさんへのご恩返しは一生かかってもできないかも知れないけれど、自分に課された使命を果たすべく、音楽で人様のお役に立つために日々努力を重ねることが、私にできる唯一のことだと信じています。なぜなら

 

 

 

 

CAさんたちは、お客様の命を預かっていて、私は、シンガポールでピアノを教えている先生として、生徒さんたち一人一人の、かけがえのない「音楽の命」を預かっていて

 

 

 

 

全く違うフィールドで生きているけれど、お互いに「プロフェッショナル」を貫くことで心が繋がっているから✨

 

 

 

あぁ….いつかお会いできたらいいな。もうお顔も思い出せないけれど。

 

 

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございました😃

 

 

 

 

ちなみに本日、7月12日は、母の17回目の命日です。

 

 

 

 

下の写真は初めての一時帰国の時に訪れた、私たちの行きつけだった、福井のお寿司屋さん「花寿司」での一枚。(1993年6月) ※今はもうお店はありません。

 

 

 

 

母との最後のお別れの日は、台風のような土砂降りの雨でしたが、ヤマハのデモンストレーター時代からの親友であり、昨年の発表会にも出演してくださった、大木明美先生(NoA Project)が、万障繰り合わせて駆けつけてくれました。後日、実家宛に手紙を送ってくれたことも一生の思い出。今でも心の支えです。

 

 

 

 

どこよりも手厚く、きめ細やかなピアノ指導で、シンガポールの駐在員日本人ご家族との信頼の絆を築いて33年。

 

 

頑張ることを楽しむ心を育てる 

 

当ピアノ教室のレッスンは、ワンランク上心と音楽を学ぶレッスンです。

 

ピアノを学ぶことを通して、これからの時代を生きるために必要な「人間力」を育てます。

 

当ピアノ教室は、300人以上の生徒さんたちを育て上げた経験を持つ、シンガポールで一番長い指導歴の日本人のピアノの先生が主宰している出張専門のピアノ教室です。

プロフィール
 
 当ピアノ教室の指導コンセプト(教育理念)について

 1992年来星。シンガポールPR(永住権)保有者。
 
 指導方針

ピアノレッスンコース

 

 

 

 

 

 

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