日本人初!女性シンガー殿堂入りおめでとう、八神純子さん♬

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こんにちは。
シンガポールの出張ピアノ教室
fairy wish creation 講師の
塚越 則子(つかごし のりこ)です。

 

 

 

 

面識のあるアーティストの嬉しいニュースが飛び込んできました。

 

 

 

 

シンガーソングライターの八神純子さんが、米国で創設された「女性ソングライターの殿堂」に、日本の女性シンガーから初めて選出されたそうです!

 

 

 

 

2021年に女性音楽家を支援するため創設された、米音楽団体の「女性ソングライターの殿堂」。

 

 

 

 

第2回となる2022年の《殿堂入り》には、グロリア・エステファン、ロレッタ・リンなどと共に、日本の女性シンガーとしては初めて八神純子さんが選出されました。

 

 

 

 

 

※お写真は、八神純子さんの公式オフィシャルサイトよりお借りしています。

 

 

 

 

八神さんは、受賞に際し

 

 

 

 

「2011年に音楽活動に復帰して以来、『私しか歌えない歌を作り、歌おう。』と、夢中に走り続けてきたこの10年を、アメリカのメリーランドを本部とする音楽団体『Women Songwriters Hall of Fame』からの『女性ソングライター殿堂賞』という形で、アメリカでも讃えられることになるのは大変に光栄なことだと思っています」

 

 

 

 

 

とコメントしておられます。さらに

 

 

 

 

 

「受賞者は、ただ賞をいただくだけではなく、今後の音楽業界の中で活躍する女性アーティスト達を支援し、彼女等が良い音楽を創って行ける環境作りをして行くというミッションもあります」

 

 

 

 

 

「私なりにそのミッションに取り組んでみたいと思っています。それが私の音楽人生の次なるフェーズに加わることは、とても喜ばしいことだと感じています」

 

 

 

 

 

と、崇高な志を力強く語ったそうです。素晴らしいですね。八神さん、受賞おめでとうございます! 今後の更なるご活躍を、シンガポールより心からお祈りいたします。

 

 

 

 

 

八神純子さんは1978年にデビューし、「みずいろの雨」などのヒット曲で知られているシンガーソングライターです。

 

 

 

 

 

結婚を機に渡米し、2011年からは日本での活動を再開しています。

 

 

 

 

 

以前の投稿でも取り上げましたが、米国では、この数年、八神純子さんや竹内まりやさんら1970〜80年代に日本で流行した「シティーポップ」が大ブーム。

 

 

 

 

 

その波は日本国内でも同様で、中古レコード市場は現在とてもホットで、一時帰国の際、渋谷のHMV を訪れたときは、ワンフロア全体がレコード売り場になっていて、まるでタイムマシンに乗ったかのような錯覚に陥って、声を失ってしまったほどです。

 

 

 

 

シンガポールのピアノの先生が解説/40年前のポップ「真夜中のドア〜Stay with me〜」の世界的ヒットの裏側。

 

 

 

 

八神さんの代表曲「黄昏のBAY CITY」も、YouTubeで1000万回以上再生されるほどの大人気だといいます。

 

 

 

 

 

受賞はこうした米国での人気や、米国に活動拠点があることなども考慮されたということです。

 

 

 

 

 

恥ずかしがりやさん仲間?

 

 

 

 

八神純子さんは愛知県のご出身。3歳からピアノを、小学校1年生から日本舞踊を習い、幼い頃から歌が大好きで、自宅でも壁に向かってザ・ピーナッツやシャーリー・バッシーの歌を歌い続けて、ご両親を呆れさせたといいます。歌が大好きで、たまらないといった感じですね。

 

 

 

 

 

一方で、八神さんは自分の少女時代について

 

 

 

 

 

「小学校の頃はすごく不器用でぎこちなくて、自分のことが好きではなかった。

 

 

 

 

運動が得意な子は、もてはやされ目立っていましたが、私は内気でまったく目立たない存在でした」

 

 

 

 

 

とインタビューで語っています。意外ですね。私も幼い頃は、活発ではありましたが人見知りで大人しい性格だったので、親近感を感じます。

 

 

 

 

 

当ピアノ教室にも、恥ずかしがりやさんが多いですね。

 

 

 

 

シンガポールの出張ピアノ教室/はずかしがりやさんの生徒さん達へ。

 

 

 

 

POPCONで夢をつかむ。

 

 

 

 

八神さんのデビューのきっかけとなったのは、1974年10月13日に開催された『第8回ヤマハポピュラーソングコンテスト』に出場し、「雨の日のひとりごと」で優秀曲賞に入賞したことです。

 

 

 

 

 

八神さんは、この年の「世界歌謡祭」にも出場し、見事、本選への出場を果たしています。

 

 

 

 

 

中島みゆきさん、長渕剛さん、世良公則&ツイスト、クリスタルキング、チャゲ&飛鳥、あみんなど、昭和を代表する有名アーティストを次々と生み出した、ヤマハポピュラーソングコンテスト

 

 

 

 

 

ヤマハポピュラーソングコンテストは、ヤマハ音楽振興会の主催で1969年から1986年まで行われたフォーク、ポップス、ロックの音楽コンテストで、音楽業界では通称「ポプコンPOPCON」と呼ばれています。

 

 

 

 

 

私は子ども時代、ヤマハで子ども達の音楽教育に携わりながら、現役としてご自身も音楽活動をされている先生方に師事し、ピアノ、エレクトーン、ドラム、作曲の個人授業を受け、ヤマハジュニアオリジナルコンサート(略称JOC)の一員として、国内外での音楽活動もしていましたので、同じ《ヤマハつながり》で所属アーティストとの交流や、POPCON、世界歌謡祭との仕事とも縁が深く、楽曲のアレンジを任されたり、審査員を務めた経験などがあります。

 

 

 

 

 

第14回に出場し、川上賞を受賞された「本間由理」さんの「ホワイトナイト」のアレンジを依頼されたのは、中学1年生、13歳のときでした。

 

 

 

 

 

八神純子さんとは、ヤマハ主催のパーティーなどで何度かお顔を合わせたことがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

写真は、あるパーティでの一コマ。ヤマハグループ川上源一社長との貴重なショット。

 

 

 

 

本業の楽器製造に加えてオートバイ、スポーツ用品、レクレーションなど各種事業を創業し、社業の業績向上と多角化に大きな成果を挙げて、「ヤマハ中興の祖」ともいわれる川上氏。

 

 

 

 

そのワンマンぶりでも有名でしたが、多くのアーティストたちから慕われていたことでも知られており、葬儀の際は、中島みゆきさんが「時代」を献歌されました。

 

 

 

 

 

川上社長は音楽のバックグランドを持ちませんが、いい音を聴き分ける耳は鋭く、子ども相手でも容赦無く辛口の、的を得た批評をすることでも、業界で一目置かれていました。

 

 

 

 

 

私自身、川上社長とは、小学6年生の時のオーストラリアへの演奏旅行など数々の思い出がありますが

 

 

 

 

 

あるオーディションで「SLの旅」というオリジナル曲を弾いた際、大絶賛していただいたことが、ピアノやエレクトーンの演奏技術を磨くだけではなく、作曲も今後頑張って学んでいこうと決意を固めるきっかけになりました。小学校3年生の春の出来事です。

 

 

 

 

 

 

明日は、八神純子さんの《殿堂入り》を祝して、代表曲の一つ「パープルタウン」の、初級向けアナリーゼ(楽曲分析)をしてみたいと思います。

 

 

 

 

 

どうぞお楽しみに♬

 

 

 

 

 

頑張ることを楽しむ心を育てる 

 

 

 

 

当ピアノ教室のレッスンは、新時代にふさわしい、ワンランク上心と音楽を学ぶレッスンです。
 
 

 

 

 

ピアノを学ぶことを通して、これからの時代を生きるために必要な「人間力」を育てます

 

 

 

 
当ピアノ教室は、シンガポールで最も長い指導歴を持つ日本人のピアノの先生が主宰している出張専門のピアノ教室です。
 
 

 

 
プロフィール
 
 

 

 
1992年来星。シンガポールPR(永住権)保有者。
 
 

 

 

指導方針
 
 

 
ピアノレッスンコース
 
 

 

 

 
当ピアノ教室は、シンガポール政府の定めた法律を遵守した、講師が生徒さんのお宅に出向いてレッスンを行う、出張ピアノ教室です。
 
 

 

 

 
 
Q&Aシリーズ⑩先生のお宅でのレッスンはありますか?
 
 

 

 
講師 塚越 則子(つかごし のりこ)は、ヤマハ認定グレードにおいて、ピアノ、エレクトーンの演奏、指導共に最高位のグレードを保持する指導者であり、鍵盤楽器のプロフェッショナルです。
 
 

 

 
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