こんにちは。
シンガポールの出張ピアノ教室
fairy wish creation 講師の
塚越 則子(つかごし のりこ)です。
 

 

 

当ピアノ教室は、シンガポールで最も長い指導歴を持つ日本人のピアノの先生が主宰している、出張専門のピアノ教室です。

 

 

 
プロフィール
 

 

 
1992年来星。シンガポールPR(永住権)保有者。

 

 

 
指導方針
 

 

 
ピアノレッスンコース
 

 

 
シンガポールは日本とピアノ教室の事情が異なり、法律により、講師の自宅でお教室を開講することは認められていません。
 
 

 

 
シンガポールのピアノ教室事情
 
 

 

 
当ピアノ教室は、シンガポール政府の定めた法律を遵守した、講師が生徒さんのお宅に出向いてレッスンを行う、出張ピアノ教室です。
 

 

 
 
Q&Aシリーズ⑩先生のお宅でのレッスンはありますか?
 
 

 

 

講師 塚越 則子(つかごし のりこ)は、ヤマハ認定グレードにおいて、ピアノ、エレクトーンの演奏、指導共に最高位のグレードを保持する指導者であり、鍵盤楽器のプロフェッショナルです。

 

 

 

ヤマハ認定グレード

 

 

 

40年ぶりに世界で脚光を浴びている「シティポップ」とは。

 

 

 

2020年末、1979年に発売された日本の「シティポップ」の名曲が、世界の音楽シーンを席巻し、その影響は現在も続いています。

 

 

 

 

松原みき「真夜中のドア/Stay With Me」が、昨年末Spotifyのグローバルバイラルチャートで18日連続1位の快挙を成し遂げました。

 

 

 

 

 

 

バイラルチャートとは、SpotifyからSNSなどにシェアされ再生された回数などを基に集計された、「今話題の曲」を反映したもの。つまり、2週間以上にわたって、「真夜中のドア」が、世界で最も旬な曲であり続けたというわけです。

 

 

 

 

実は2010年代末から、1980年代に日本で流行した「シティポップ」は「新しい音楽」として、リリース時を知らない海外の音楽ファンや日本の若者に聴かれる“第2の最盛期”とも呼ぶべき時代を迎えています。

 

 

 

 

「シティポップ」には、厳密な決まりは存在しませんが、都会的に洗練されたメロウでグルーブ感のある曲とされ、山下達郎の『RIDE ON TIME』や竹内まりやの『プラスティック・ラブ』などが、その代表曲と言われています。

 

 

 

 

このブームの中、昨年、インドネシアの人気YouTuber「Raynych(レイニッチ)が「真夜中のドア」をカバー。そこから一気に世界中で注目を集めるようになったのです。

 

 

 

 

 

そもそも海外のコアな音楽ファンの間で「シティポップ」の認知が広がっていったのは2010年代前半。

 

 

 

 

1980年代頃の日本を含む各国の曲や音源の一部を取り入れ(サンプリングして)、新たな曲を作り上げる「Vaporwave」というジャンルが話題になり、それに派生する形で日本の曲を題材にした「Future Funk」という新たなジャンルが誕生しました。

 

 

 

 

 

「Vaporwave」や「Future Funk」が世界的なトレンドになるにつれ、そこでサンプリングする曲の“ネタ探し”を通して「シティポップ」の曲が世界で次々に発掘されていき、ここ数年のストリーミングサービスの普及でメインストリームに広がっていったことが、「真夜中のドア」の注目の背景にあるのです。

 

 

 

 

「真夜中のドア/Stay With Me」は松原みきのデビュー曲で、 1979年11月にシングルとしてリリースされ、 翌1980年1月21日(月)にデビューアルバム「POCKET PARK」に収められました。

 

 

 

 

作詞家は三浦徳子、 作編曲家は林哲司、 参加ミュージシャンは渋井博(Key)、 後藤次利(EB)、 林立夫(Dr)、 松原正樹(EG)、 穴井忠臣(Per)、 ジェイク・H・コンセプション(Sax)という、 日本を代表する錚々たるメンバーが、ガッチリとサウンドの脇を固めています。

 

 

 

 

 

過去には 岩崎宏美、 広瀬香美、 中森明菜、 稲垣潤一といったアーティスト達がカバーしていますが、 最近ではブームの波に乗って人気女性声優の中島愛、 藤井風らがリメイクしてして話題となりました。

 

 

 

 

 

現在youtubeで検索すると、世界中のアーティスト達が、それぞれの持ち味を活かして「真夜中のドア」を披露しており、人気のほどがうかがえます。

 

 

 

 

この曲がリリースされた1979年には、40年後に、こんな形で世界中で曲が注目を浴びて、再び蘇る日が来るなんて、全く想像できなかったわ!

 

 

 

 

 

インターネットの進化によって音楽は、国境だけではなく時空も簡単に飛び越えてしまいました。すごい時代になったものです。(感涙)

 

 

 

 

80年代後半、私は、ヤマハのデモンストレーターとして国内外で活動していました。写真はバンコクを訪れた際、現地コーディネーターさんと写した一枚。場所はエメラルド寺院です。

 

 

 

 

 

 

 

「真夜中のドア」のサウンドは、今聴いてもお洒落で洗練されていると感じます。YOASOBIの「夜に駆ける」の楽曲コンセプトも、この時代を意識していますよ。

 

 

 

 

音楽業界では、ここ最近、1970年代、80年代のリバイバルが注目されており、中高生のブラスバンド部で、1980年代のフュージョンバンドの楽曲が好んで演奏されるのも、その流れです。

 

 

 

 

2020年。音楽とファッションのリバイバルトレンドはこれ!

 

 

 

 

当ピアノ教室の生徒さん達は、ピアノを習っているだけあって、音楽の最新トレンドに敏感ですから、リバイバルだと知らせずに「真夜中のドア」を聴いてもらったら、最先端の雰囲気を感じ取り、早速ピアノで弾いてみたいと言うかもしれません♬

 

 

 

シンガポールの出張ピアノ教室/「夜に駆ける」アドリブ弾けた!(11歳演奏動画あり)

 

 

 

今日は最後に、Ms00JAのバージョンの「真夜中のドア」の動画をご紹介します。

 

 

 

 

ヴォーカルの上手さもさる事ながら、バックのリズム隊のキレの良い音が秀悦です。まるでタイムマシンで過去に戻ったかのように、あの時代の空気を感じて、懐かしさでいっぱいになりましたよ。

 

 

 

 

歌を聴くと、1980年代の六本木や原宿の光景が鮮やかに蘇って、思わず胸がキューンとします。

 

 

 

 

写真は80年代後半に、デモンストレーター仲間と仕事の打ち上げを終えた後の一枚。場所は銀座です。中央が私。右にいるのは、現在、ヤマハのストリートピアノLovePiano の母として活躍中の、山下 有美子氏です。

 

 

 

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松原みきさんは、2004年に44歳の若さで、病気によってこの世を去り、今は空の人ですが、40年の時を超えていま、世界中のファンに「真夜中のドア」が再び愛されていることを、さぞかし嬉しく感じていることでしょう。