こんにちは。
シンガポールの出張ピアノ教室
fairy wish creation
塚越 則子(つかごし のりこ)です。

 

 

当ピアノ教室でピアノレッスンを開始したばかりの生徒さんから昨日帰り際に言われた言葉に一晩明けてもまだなおきゅんきゅんしている則子せんせーです。初めてのピアノレッスンの様子
そうだよね。毎日会えたらいいのにね

子供が好きだね、と言われますが
好き、嫌いの次元で捉えたことは一度もありません。
強いて言うならば「波長が合う」という感覚が近いでしょうか。

 

 

ピアノがあれば鬼に金棒です。

 

 

5歳さんと一緒のレッスンの時は自然と「私の中の5歳のわたし」も同時に蘇ってきて
初めて鍵盤に触れた時のトキメキを同時に味わっています。

 

ピアノレッスンの前後に
則子せんせーはピアノを教えてくれているから、ボクもわたしも!
とばかりに大好きな「あつ森」や「ポケモン図鑑」についての知識などを熱弁してくれるのは「ピアノレッスンありがとう」の親愛のしるしです。
「もらったらお返しする」子供なりの配慮なんですね。

 

 

やがてしばらくすると「ああ、則子せんせーはピアノの先生、ピアノを習うってこういうことなんだ!」とパァーッと視界が開く時が来ることを経験から知っています。

 

 

長いピアノ指導の中で幾度となくそんな瞬間をピアノと一緒に見ていますが、そのたびに毎回ピアノへの感謝が湧き上がってきます。ピアノがくれる貴重な出会いであり、一緒に成長していく時間であり、ピアノあってこその私です。

 

 

ライバルはいらない。

 

 

初めての幼稚園での運動会。
徒競走で5歳の私は、最初は勢いよく走っていたけれどふと後ろを見たらゆっくり走っている知らないお友達が目に入ったので、その子の横まで急いで走って戻り、一緒に笑いながらゆっくり並んで走りました。

 

 

結果は最下位でしたがみんな笑顔で拍手してくれたし、知らないお友達とも仲良くなって一緒に並んで完走できたし、頑張りました!と記念品の縄跳びももらったし大満足。一点の曇りもない花丸の1日でした。これは競争なんだ、という概念が全くなかったからです。

 

私にとって音楽も同じです。
唯一無二の自分だけの音を追求して技術を磨き、さらに高みを目指して目標に向かってコツコツと努力を重ねて前に突き進んでいくことと誰かと競い合うことは全く別のことです。

 

 

コンクールなどへの参加はカンフル剤です。目標を定めて全力で努力する先にある達成感を味わうことで自信を得たり、他の参加者の演奏をじっくり観察したりと学ぶことが多くあり、経験は何物にも変え難い栄養になります。しかしあくまでもそこで得た結果は実力の全てを証明するものではなく、実力を計るたくさんある手段のうちの一つであり、最終ゴールではありません。

 

 

美しくありたい

 

音楽は国や言葉の違いを超えたコミニュケーションです。楽器は人と人を繋いでくれる存在です。相手と仲良くなるために楽器はあり、人はそれを奏でるのです。

 

 

私にとってのピアノ指導とは、知らない人と仲良くなったり、大好きな誰かを喜ばせたり、大切な誰かと一緒に幸せな気持ちを分け合うための方法の一つをピアノを通して教えていくことです。

 

 

いいことがあるよ。ピアノを弾いて仲良くなろうよ。知りたい?教えてあげるね。

 

 

そんなイメージです。

 

 

誰かを打ち負かそうと張り合ったり、蹴落とそうと闘志を燃やさなくてはいけない理由は、そこには存在せず自分自身に勝つ、などと力む必要もありません。

 

 

 

 

 

 

物事を勝ち負けで判断すると勝敗に関係なく相手を常に意識して相手次第の自分になり、比較対照の中でしか自分の価値が見出せなくなります。必然的に自分を見失い感情は不安定になります。そしてそんな心のブレは誤魔化しようがなく、必ず音に透けて現れてきてしまいます。

 

 

スポーツの世界にも同士がいます。

 

 

極めようとする精神はスポーツも音楽も共通なんですね。

 

シンガポールではプールやジムも再開しました。週末は久しぶりにマシンエクササイズしようかな。

 

イチロー『人に勝つという価値観では野球をやっていない。』

IQ.より引用