こんにちは。
シンガポールの出張ピアノ教室 fairy wish creation
講師の 塚越 則子(つかごし のりこ)です。
昨日、最終レッスンが終わったあと、質問を受けて小学生の頃の話をしたとき、母のことを話題にしたら、夢に母がでてきて、懐かしい気持ちで目覚めた、則子先生です。
内容はたわいもないことで…
祖母の提案で、迷い犬を家で飼うことになったとき、それまで近所のいたずらっ子たちが、その犬がドロまみれで汚れ果てた、みすぼらしい姿をしていたことから、ドロを反対にした「ロド」と呼んでいたことに母が憤慨し
「うちの犬になったんだから、もう、これからは、そんなかわいそうな名前では呼ばせない!」
と、男爵の意味の「バロン」をもじって「バル」と名づけたこと
などです。
その頃は、別にそんなことでムキになることなんてないのになぁ
と、母の言動を不思議に感じていましたが、この歳になって「その気持ち、よくわかる!」と思ってしまう自分がいます(笑)
やっぱり血は争えないものですね💦
さて。
子どものときに聴いていた曲は?
との質問をくれたのは小学生3年生の生徒さん、Rちゃんです。
小学生の頃の私は、アニメ大好きっ子で、テレビをよく観ていたので、その影響でアニメの曲が好きでした。
とりわけ夢中だったのは「キャンディ・キャンディ」です。
このエンディングテーマが好きでした。
他にも、いろいろなアニメを観ていましたが、惹かれるのは、派手なメインテーマよりも、しっとりと穏やかなエンディングテーマ。
たとえば
美しく切ないメロディを聴いて、曲を作るときにイマジネーションを膨らませていたのかもしれません。
せっかくなので、当時のエピソードをいくつか綴ってみたいと思いますので、よろしければお付き合いください❣️
小学生当時から、ヤマハのジュニア・オリジナル・コンサート(通称JOC)の活動で、国内外で演奏をしていた則子先生ですが、小学3年生の夏休みの1ヶ月間は、東京タワーで開催されていた、子ども向け番組のイベントのゲストに招かれて、エレクトーンの演奏をしました。
シンガポールの出張ピアノ教室/一年後の目標を宣言する9歳女子に思う。
横浜から浜松町の東京タワーまでバスと電車を乗り継ぎ、連日付き添うだけでも大変なのに、ほぼ毎日、母は、おにぎりのお弁当を用意してくれました。本番前に2人並んで蝋人形館の前のベンチに座って食べたものです。
何回か、お弁当を持参せずに、東京タワー内の喫茶店でお昼を食べたことがありました。
お決まりのように、いつも頼んでいたのは「ミートソース」です。
子どもの時、食が細かった私にとって、外食で出される大人の量を1人で完食するのは簡単なことではなかったのですが、戦時中食べ物で苦労した、明治生まれの祖母と同居していたこともあり、出されたものを残さずにいただくことは、ことさら厳しくしつける家庭で育ちました。
「ミートソース」も食べたいけれど「ミルクセーキ」も飲みたい。
だけど、全部きちんと食べられるだろうか…
ある日、そんなことで悩み、いつまでも注文が決められないことがありました。
母に恐る恐る打ち明けるてみると、意表を突いてケラケラと笑いながら
「それなら両方頼めばいいじゃない」
と言われて、「そうか、その手があったのか!!!!」
とハッとした記憶があります。
子どもの感覚だと、ミルクセーキは飲み物だけれど、とてもお腹にたまるイメージだったので、両方頼むという発想が思いつきませんでした。
食べるのもゆっくりでしたので、時間内に食べ終わるかどうかも気がかりだったのです。
結果、無事に完食できたけれど、ミートソースとミルクセーキを頼んだのは、その時の一回きりでした。
理由はもう思い出せないけれど、あの時に運ばれてきたミルクセーキのグラスのデザインや、さくらんぼの鮮やかな赤色は、今でもはっきりと目に焼き付いています。
よほど嬉しかったのでしょうね。
外遊びが好きで活発な反面、おっとりとしていて、すばしっこい子に出し抜かれて損な役回りになったり、こっそりいいとこ取りをされても争いを避け、「まあ、それでもいっか」と笑顔で折れて受け入れる、そんな子どもでした。
でも、それで満足かと言うと決してそうではなく、ひっそりと悔し涙を流すこともしばしば….
これからの競争社会で、たくましく生き抜いていけるのだろうか…と、両親は心配だったようです。
おねだりすることがあまりなく、欲しいといったこと、やりたいと言ったことは「本当に」「真剣に考えている」時だけだったので、それをよくわかっている両親は、思いを汲んで、できる限り願いを叶えるために生活の工面をしたりと、生涯努めてくれました。
ピアノやエレクトーンを習わせてくれただけでなく、良い先生につけてくれたり、良い楽器を準備したりと、でき得る最高の環境を整えてくれたこと
自分の力を試したいと、シンガポールに移住を決意したときに、心から応援し、背中を押してくれたこと。
この宝石箱は、10歳のとき父と一緒に出掛けたときに、たまたま通りがかったおもちゃやさんで偶然目に留まり、一目惚れしました。以来、ずっと手元に置いて大切にしている宝物の一つです。
ペラナカンの色使いにちょっと似ていると思いませんか?
どこよりも手厚く、きめ細やかなピアノ指導で、シンガポールの駐在員日本人ご家族との信頼の絆を築いて33年。
頑張ることを楽しむ心を育てる
当ピアノ教室のレッスンは、ワンランク上の心と音楽を学ぶレッスンです。
ピアノを学ぶことを通して、これからの時代を生きるために必要な「人間力」を育てます。
当ピアノ教室は、300人以上の生徒さんたちを育て上げた経験を持つ、シンガポールで一番長い指導歴の日本人のピアノの先生が主宰している出張専門のピアノ教室です。
1992年来星。シンガポールPR(永住権)保有者。
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