こんにちは。
シンガポールの出張ピアノ教室
fairy wish creation 講師の
塚越 則子(つかごし のりこ)です。
たかがシール、されどシール。
先日のレッスンで、生徒さんと一緒に「ごほうびシール」を選んでいたとき、10年ほど前に本帰国された、ある1人の生徒さんのことをふいに思い出しました。
その生徒さんは、曲が合格して、ごほうびにシールを貼ってあげると、決まって私にもお返しに、自分のシールをプレゼントしてくれました。
大切にしていたシールブックのコレクションの中から、毎回慎重に吟味してくれていたことをよく覚えています。
おとなしいけれど、自分の世界を持った、しっかりとしたお子さんでした。レッスンを受けていたのは5歳から7歳にかけてです。
❤︎則子せんせーは、やっぱりキティちゃんだよね
❤︎ピンクかな
ニコニコしながら1人であれこれおしゃべりをしながら、これ! と決めた瞬間、とっても嬉しそうな笑顔を向けてくれていました。時にはこんなことも。
❤︎これは、キラキラが入ってる特別なシールなの。
だから先生にあげるね。
ある日、私はこう言いました。
「かわいいシールをいつもありがとう。たーくさんもらったよね。嬉しいよ。
もう、いっぱいもらったから、これからは、シールは、なかよしのお友だちにあげてね。」
その会話を聞いていたお母さんが、こうおっしゃいました。
「日本のおばあちゃんが送ってくれた、お気に入りの”いいやつ”ばかりを、いつもお友だちにあげちゃうんです。」
「ほしいって言われも、イヤと言いなさい」
「自分でとっといたら?っていうんですけどね…..」
「なんだか損ばっかりしてる気がして…..」
そのとき、私は、口にこそ出しませんでしたが、”お母さんのお気持ちはよくわかるけれど《損》ていうのは少し違うのではないかしら?”と、ふと感じました。
私にも、幼いときに似たような経験があったことを思い出したからです。
4歳ごろのこと。当時の私は、父の転勤で島根県松江市に住んでいました。近所の仲良しの4人で、誰かのおうちで遊んでいたときのことです。
1人がプラスティックのオモチャのはさみを取り出して、「とこやさんごっこ」をやろうと言い出しました。
そして別の1人が言いました。
「このハサミは【うそっこ】(本物ではないという意味の方言)だから切れないんだよね」
私は言いました。
「少し切れるよ」
そして、自分の髪の先っぽを、ジョキジョキっと切ってみせました。
「ほらね」
すると、みんなが感嘆の声を上げました。
「あ、ほんとだ!」
そして私は言いました。
「切ってもいいよ」
それからの展開は、みなさんの想像にお任せします(笑)
私の髪型を見た母は真っ青になって、しばらく言葉を失っていました。
きれいに切り揃えてもらったばかりだった髪を、整えてもらうために再び床屋さんに行き、どうにか形にしてもらった帰り道、母は呆れたようにこう言いました。
「どうしてイヤだと言わなかったの?」
「がまんすることなんてないのよ」
だけど、私には、どうしても、母が言っていることの意味がわかりませんでした。
「違うよ、ガマンなんてしてないよ」
「お友だちがすごく喜んでいたのを見たでしょう?」
「だから私も嬉しかったし」
「髪の毛を切ったって血もでないし、どこも痛くないもん」
「また伸びてくるし」
「どうしていけないことなの?」
でも、それを口にすることなく、ずっと黙っていました。もっと叱られそうな気がしたからです。
大人になり、あの時の私の行動は確かに無謀だったなと反省はあるけれど、無理強いされたわけでもないし、何より「私は楽しかったんだよ」といつか母に打ち明けたいと思っていましたが、結局言えないまま、母はもう、遠くの世界に旅立ってしまいました。
【ママからのご質問②】ピアノをやめたいと思ったことありますか
子どもが子どもなりに自分で納得して、考えた末に選択した行動も、大人からみると理解が難しい、どうして?ってことって、多分たくさんあります。大人になるにつれ、そんな記憶はだんだん薄れていくけれど。
私の場合、何十年も経った今も、あの時の一連の流れをキッチリ鮮明に覚えているということは、よほどインパクトの強い出来事として、無意識のうちに心に刻んだのでしょうね。ことの顛末の感情を一言で表すならば
理不尽な思い
というのがピッタリな気がします。
合格シール1つでも、こんなふうに、いろいろなことが思い起こされるなんて驚きですね。たかがシール、されどシールです。
やさしさの本質〜Sくんとのシンガポールのピアノレッスンの思い出〜
喜ぶ顔がみたい。
私がピアノを弾く、教える目的はこの一言に集約されます。
喜んでほしい、それは目の前にいる人たちだけではありません。遠くにいてなかなか会えない人や、これから出会う人、もう2度と会えない人たちも含めてです。
だから踏ん張りもきくし、頑張ることができます。
もっともっとと、上達への欲求には終わりがありません。
喜んでもらえるとあれば「童謡」だって「演歌」だって心を込めて弾きます。バカにされてるとか全く思いません。どんな曲もれっきとした音楽であり、そこには、かけがえのない命があるからです。
クラッシックだけが高尚な、レベルの高い音楽ですか? 私はそうは思いません。
高いテクニックを持つクラッシックのピアニストだからといって「みんなのよく知っているカンタンな曲」を上手に弾きこなす実力が十分に備わっているかというと、必ずしもそれはYesではないことを、みなさんはご存知ですか?
知り合いがこんな話をしていたことがあります。
「学校の同窓会で、プロのピアニストの同級生に校歌を弾いてもらおうと思ったら”楽譜がないと”と言われてビックリした」
「音大のピアノ科をでた人に、子どもに”あめふりくまのこ”を弾いてほしいとお願いしたら”知らない”と言われてショックだった」
これは音楽業界ではよく知られた「あるある」で、決して珍しいことではありません。だから私はこう考えていますよ。
「リスペクトされること」「称賛されること」「相手より優位に立つこと」を基準にビアノを学んでいると、いつか辛くなってきます。
他者の評価に依存することは、誰かの価値観の中で生きることになってしまうからです。人は変わっていきます。
私はいつも、生徒さんたちに、自分らしく生きる、自分を生きることに重点を置いて、さらなる高みを目指して努力していく力を身につけていけもらいたいと思いながら指導をしています。
頑張ることを楽しむ心を育てる
当ピアノ教室のレッスンは、新時代にふさわしい、ワンランク上の心と音楽を学ぶレッスンです。
ピアノを学ぶことを通して、これからの時代を生きるために必要な「人間力」を育てます。
当ピアノ教室は、シンガポールで最も長い指導歴を持つ日本人のピアノの先生が主宰している出張専門のピアノ教室です。
1992年来星。シンガポールPR(永住権)保有者。