こんにちは。
シンガポールの出張ピアノ教室
fairy wish creation
講師の塚越 則子です。
5月25日。
今日は父の誕生日であり、命日です。
15年前の今日、父は78年の生涯を終え、空に旅立ちました。
母を見送って3年目のことでした。
あの世で両親が再び会えるようにとの願いをこめて、母と同じ棺に揃え、棺掛けを色違いにしたことを覚えています。
季節はずれの北風の吹く、とても寒い日でした。
塚越家代々のお墓のある高崎から(父は高崎出身)報せを受けて駆けつけてくださったご住職さまが
「昨夜はストーブを焚いたのですよ」
と話していました。
化粧品メーカーのサラリーマンだった父は、仕事柄、いつもオシャレでした。
晩年は帽子を好み、出かけるときにはいつもお気に入りを被っていたのが懐かしく思い出されます。
愛用していた品々。
今朝、起きがけに、懇意にしてくださっていたご近所の方が、葬儀の席で話しかけてきたことが急に蘇りました。
「昨年末に、築地本願寺のパイプオルガンを一緒に聴きに行ったら、お父様は涙を流して聴いておられましたよ」
「あなたを思っていたのかな」
音楽のことが何もわからないけれども、わからないからこそ、手探りで、不器用で、ただひたすら純粋で一途だった両親。
幼いときから、最高の環境を整えるために惜しみなく情熱を注ぎ、どんなときも真剣で一生懸命でした。
今日はこれから父のためにエレクトーンを弾きます。
◆追伸◆
小学6年生のとき、エレクトーンのグレードの進級試験(5級取得。先生になる資格が得られました)の練習に最新機種が自宅にあった方が有利だと母から聞いた父は、楽しみにしていた夏のボーナスでの新車購入を即座に見送り、私に黙って楽器の購入に充ててくれました。(後から母に、そのことを聞きました)
母を空に見送った時は、何も手につかず、何も食べられず、悲しみに暮れていた私に
「則子、崎陽軒でいいな」
と、背中越しに一声かけ、サッとお弁当を買いに行ってくれたものでした。
自分は、もっともっと辛かったはずなのに…
生前母は、抗がん剤治療の副作用が和らいでくると決まって「崎陽軒のシウマイが食べたい」と言いました。
それが回復の合図でしたので、父は「待ってました」とばかり嬉しそうに買いに走っていたんです。
その習慣を父は意識していたに違いありません。
ハマっ子のソウルフードである崎陽軒は私たち親子の歴史の詰まった特別な存在。
崎陽軒を食べるたびに、両親がいた頃の楽しかった一時帰国の日々が蘇ります。
必ずYCAT で到着を待っていてくれたことが本当に嬉しかった。
「おかえり」の一言があったから、私は未来へと希望を繋ぎ、踏ん張ることができました。
子どもの時から変わらない崎陽軒の味だからこそ、思い出も変わらずに、同じ場所にいてくれるんですよね。
私の1番のお気に入りは「横濱チャーハン」です。
どこよりも手厚く、きめ細やかなピアノ指導で、シンガポール在住日本人ご家族との信頼の絆を築いて34年。
頑張ることを楽しむ心を育てる
当ピアノ教室のレッスンは、ワンランク上の心と音楽を学ぶレッスンです。
ピアノを学ぶことを通して、これからの時代を生きるために必要な「人間力」を育てます。
当ピアノ教室は、300人以上の生徒さんたちを育て上げた経験を持つ、シンガポールで一番長い指導歴の日本人のピアノの先生が主宰している出張専門のピアノ教室です。
1992年来星。シンガポールPR(永住権)保有者。
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