こんにちは。
シンガポールの出張ピアノ教室
fairy wish creation 講師の
塚越 則子(つかごし のりこ)です。
当ピアノ教室は、シンガポールで最も長い指導歴を持つ日本人のピアノの先生が主宰している、出張専門のピアノ教室です。
1992年来星。シンガポールPR(永住権)保有者。
シンガポールは日本とピアノ教室の事情が異なり、法律により、講師の自宅でお教室を開講することは認められていません。
当ピアノ教室は、シンガポール政府の定めた法律を遵守した、講師が生徒さんのお宅に出向いてレッスンを行う、出張ピアノ教室です。
講師 塚越 則子(つかごし のりこ)は、ヤマハ認定グレードにおいて、ピアノ、エレクトーンの演奏、指導共に最高位のグレードを保持する指導者であり、鍵盤楽器のプロフェッショナルです。
今日はピアノの話題から少し離れて、歌についてのお話です。
みなさんは子どもの頃、童謡や流行の歌を替え歌にしたことはありませんでしたか?
いま、替え歌がSNS上で大きな注目を集めており、年代や地域による違いを話題にしたりなどして盛り上がっているそうです。
♬もりのくまさん
♬ビビディバビディブー
他にもいろいろありそうですが、みなさんにもなじみ深い歌があるのではないでしょうか?
「カラス、なぜなくの」「カラスの勝手でしょ」は、1980年代に志村けんさんが作ったということは有名なお話。
これからも、この「ななつのこ」の替え歌は、世代を超えてずっと歌い継がれていくことでしょう。
替え歌は、語尾に言葉をつなげるパターンがメジャーですが、今回知った変わりネタのひとつが
「水戸黄門」のメロディで
「どんぐりころころ」を歌う
というもの。
興味がわいたので、実際に歌ってみたのですが、これが意外と難しい!
メロディと歌詞のリズムがピッタリとマッチしていてなんともシュール。思わず唸ってしまいました。
考えた人は、まさに天才ですね♬
私が子ども時代によく歌っていたのは「瀬戸の花嫁」の替え歌。語尾に食べ物の名前をつけると言うものです。
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瀬戸は(ワンタン)
日暮れて(天ぷら)
夕波小波(ミートソース)
あなたの島へ(エビフライ)
お嫁に行くの(海苔巻き)
若いと(トンカツ)
誰もが(ガーリック)
心配するけれど(ドーナツ)
愛があるから(ラーメン)
大丈夫なの(のりたま)
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と、こんな具合です。
私にとって「瀬戸の花嫁」は、小学校3年生の時の音楽の授業の思い出と密接につながっています。
新任教師だった「蒲池先生」は、バイタリティあふれた元気いっぱいの男性教師で、ユニークな授業で児童に大変人気がありました。
ある時リコーダーの練習課題に手描きの楽譜で「瀬戸の花嫁」を作ってくださったことがあり、私たちは先生に褒められたくて、休み時間に廊下に集まり、友達同士で吹き方を教え合いながら、リコーダーの練習をしたものです。
小学3年生の夏休みは、東京タワーで行われていた子ども向けイベントで、毎日エレクトーンを弾いていましたよ♬ テレビ出演もありました。
リコーダーで高音を吹くときの
♬親指で穴をうまく押さえるコツ
♬上手な息の入れ方
などは、「瀬戸の花嫁」を練習しながら自分で研究するうちに探し当てた「技」ですが、今も鮮明に覚えているので、生徒さんに【リコーダープチ講座】をする時に必ず説明する重要ポイントでもあります。
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斬新なアイデアを駆使して子どものやる気を上手に引き出すことが上手だった蒲池先生ですが
保護者の集まりではベテランの先生の指導法と比較されたり引き合いに出されることが頻繁にあり、ある時、大勢の父兄から吊し上げられたことをきっかけにすっかり自信を喪失し、翌年自ら教職を去られました。
「瀬戸の花嫁」の課題も「歌謡曲なんて子どもらしくない」と言うことで非難を受けたそうです。
父兄の方々によると「教科書通りに”われは海の子”をやらせればいい」というわけです。
当時PTAの役員の1人だった私の母は、蒲池先生が学校を去ることを大変嘆き、お力になれなかったことを直接お詫びし
「蒲池先生は、とても素晴らしい先生ですよ。私も娘も先生のことが大好きです」
と告げたそうです。蒲池先生は涙をためて、黙ってうなづいておられたと聞きました。
あの日に感じた切なく悔しい思いは、40年以上経った今も忘れられません。
蒲池先生! お元気でおられるでしょうか。
もう定年を迎えていらっしゃるでしょうね。
その後、蒲池先生の消息は一切伝わってきませんでしたが、児童教育に全情熱を捧げて生きておられた先生のことですから、私たちのもとを去られた後も、先生の良さを活かせる場に巡り会い、生き生きと、伸び伸びと、子どもたちのために日々尽力を尽くして、充実した毎日を過ごしておられたに違いないと思っています。
幼い頃から初見が得意で、ピアノ伴奏で重宝され、急にお呼びがかかることがあっても、学校の音楽の先生に好かれたり褒められたことがなく
あからさまに疎まれた経験ばかりで、訳が分からず困惑し、子ども心に密かに傷つくことが多かった私にとって、蒲池先生は数少ない「心ある先生」でした。
子どもを教え、導くと言うことの真の意味を、言葉ではなく身体を張って示してくれたお一人でもあります。
蒲池先生、私は今でも先生を深く尊敬し、心から感謝しています。