こんにちは。
シンガポールの出張ピアノ教室
fairy wish creation 講師の
塚越 則子(つかごし のりこ)です。
かつて昭和の時代、音楽に携わる人というのはプロアマ問わず周囲から何かしらの偏見に触れた経験が多少なりともおありかと思います。
今日は、そんな【世間の思い込み】に対するお話です。
クラシックの世界は保守的です。
オーケストラの楽団員は男性が圧倒的で、世界的に有名なウィーンフィルは、1997年まで事実上「女人禁制」だったほど。
男女平等を掲げる現代社会において、クラシック業界はまだまだ遅れをとっているのが実情です。
クラシックの世界で、ジェンダーの差別を受けているのは女性だけではありません。いいえ
むしろ、より悩みが深いのは、男性なのではないでしょうか。
「なんで男なのにピアノを習ってるの?」
昭和の時代、ピアノを習っていた男の子は、周りから一度は、こんな言葉をかけられた経験を持つのではないでしょううか?
いまだに、40代以降の年代の方々にはピアノというお稽古事に対して、どこか女性的なイメージを連想する方が少なくないようです。
ドレス、お花・・・
初対面の人に「ピアノを教えています」と自己紹介をすると
休日は、家にこもって、フリルのついたお洋服を着てレース編みなどの手芸にいそしんでいる物静かな人
お嬢様育ち(笑)
などのイメージが、いつの間にか先行して、戸惑うことがあります。
どんな場面でも、自身の知り得ている情報が、実際の現実とは違うかもしれないという発想や疑問を抱くことなく「ふつうは」「みんな」というキーワードで物事を即断し、無条件に常識を振りかざす人は一定数存在するものですよね。
ちなみに私は、ピアノと並行してエレクトーンも習っていたのですが、先生から「リズム感を養うために」と勧められて、小学校の6年間はドラムも習っていました。
球技は手を痛める心配があるので控えざるを得なかったものの、小学校時代はドッチボールに燃え、独自の技を生み出したほど。
【ピアノの先生的】ドッヂボールでの突き指の応急処置&突き指を防ぐ方法。
その一方で、筋金入りのキティラーでもあります。
キティちゃん同盟♡〜ゆりなちゃんとのシンガポールピアノレッスンの思い出(5歳から11歳)。
先日、ある男性から、とても心が痛む話を聞きました。
「40年くらい前のことですが、小学校、中学校とピアノを習っていたけれど、合唱祭のピアノ伴奏に選ばれて演奏したら、クラスメイトたちから”男なのにピアノを弾いて”と口々に囃し立てられて、恥ずかしくなってしまって…実は、それが理由でピアノをやめてしまったんです」
これって立派ないじめだと思いませんか???
「自分ができないことができる人」「(形がある、ないにかかわらず) 自分にないものを持っている人」をこき下ろしたり、周りを巻き込んで、寄ってたかってのけ者扱いしたり、陰口を言う人は大人社会にもいますが、実にみっともないです。。。
楽器には性別のイメージがつきまといます。例えば
ティンパニー、コントラバスは男性
ハープ、フルートは女性
といった具合です。
最近では、それらの垣根も徐々になくなりつつありますが
その一方で、かすかな疑問も残ります。
女性が「男性的」であると「カッコいい」というプラスに評価されるのに対して、男性が「女性的」であると「男のくせに…」「女々しい」などと、マイナスの評価になってしまうのはなぜでしょう?
そこが、性別の固定化したイメージから抜け出すのが困難なのは、女性よりも男性なのかもしれないと私が考えるゆえんです。
最近は「草食系男子」もすっかり市民権を得ましたが、楽器演奏は「美」の感覚に直結するものだけに、男性がジェンダーイメージを乗り越えるのには、その分苦労が大きいのかもしれません。
しかし、楽器を演奏することは本来、自分を表現すること。
誰もが平等に、自分の好きな楽器を、自由に、誰にはばかることなく演奏できるようになれば、音楽の世界も、ひいては社会全体も、もっと豊かになるに違いない
私はそう思っています。しかし、そもそも本音を言えば
《男だ女だ》なんてことは本来どうでもいい話。
《男だ女だ》にこだわること自体が立派な偏見です。
当ピアノ教室の子どもたちは、みんな【選りすぐりの】【素敵な】リトルピアニストたちばかりです。
一人一人が、世界でたった1人だけの、かけがえのない唯一無二の愛しい存在。
ピアノを弾いて、自らがより輝く未来に向けて、明るく、元気に、日々練習に励んでいます。
手厚くきめ細やかなピアノ指導で、駐在員日本人ご家族との信頼の絆を築いて30年。
頑張ることを楽しむ心を育てる
当ピアノ教室のレッスンは、ワンランク上の心と音楽を学ぶレッスンです。
ピアノを学ぶことを通して、これからの時代を生きるために必要な「人間力」を育てます。