こんにちは。
シンガポールの出張ピアノ教室
fairy wish creation 講師の
塚越 則子(つかごし のりこ)です。
突然ですが、みなさんは「ピアノの先生」という職業に対してどんなイメージを持っていらっしゃいますか?
今日は、ピアノの先生という仕事のイメージと実際とのギャップについてスポットライトを当ててみたいと思います。
このブログを読んでくださっている皆さんがイメージする「ピアノの先生」について、ちょっとだけ考えを深めていただけるきっかけになれば嬉しいです。
ちょっとその前に。
当ピアノ教室は、シンガポールで出張ピアノ教室を開講して、今年で30年目です。
生徒さんのおうちに出向いて、一人一人に個人でピアノ指導をすることにこだわっている理由はいくつかありますが、最も大きな理由は
シンガポールでは、コンドミニアムやHDBなど、集合住宅に住んでいる講師が、自宅で音楽教室を運営することが法律で認められていないから
です。
たとえ講師がPRを保持していても、たとえ住居が自分の持ち家だとしても、自宅でピアノを教えると違法ですよ。万が一摘発されると容赦無く、生徒、講師双方とも厳罰の対象となってしまいますので、くれぐれもお気をつけください。
シンガポール環境省(MOE)は、講師が集合住宅の一室を「スタジオ」と称し、住居を各種教室と兼用することを認めていません。なぜならば
◆どんな文化背景をもつ人にも等しく《健全かつ快適な住環境を確保》するため
◆不特定多数の人の出入りによって、民族間の軋轢が生まれるのを避けるため
です。
みんなそれぞれ考え方は違っていても、同じ国の住民としてお互いの生活を尊重して助け合いながら、より良い暮らしを作り上げるために努力していきましょうね、ということです。
自分の都合や利益ばかりを優先させて「いいとこ取り」をしようとしても、社会は認めてくれるとは限りません。
このような法律は、単一民族国家の島国で生まれ育った私たち日本人には、あまり馴染みのないものですので、ともすると軽く扱ってしまいがちですが
私たちはシンガポールという「外国」に住まわせていただいている立場だということを常に胸にとどめ、節度を保っていくべきだというのが、当ピアノ教室の一貫した経営方針の一つです。
いくら治安が良く、便利で住みやすいからといって、モラルに反して一線を超えてしまうのは考えもの。
私はPR保持者ですので、シンガポールで暮らす上で、日常に「縛り」や「制限」を感じることは一切ありませんが、だからこそ
いわれのない偏見や差別や危険に晒されることなく、平穏無事に暮らせていることに感謝して、善良に生きることが自分の努めだと思いながら日々過ごしています。
また、おごった考えかもしれませんが、シンガポール人の人たちと接するときは、わたし個人という枠を超えて「日本人、Noriko 」としての振る舞いを意識することも忘れません。
やはり、日本という自分の国に対して、また日本人に対して良いイメージを持ってほしいですからね。
自分のことではなくても日本のことを褒められたり日本人に対しての良い印象を語ってくれると誇らしく、嬉しい気持ちに包まれます。
そんな私ですので、シンガポールの各種教室の開講ガイドラインに、自宅教室を認めない旨がしっかりと明記してあるにもかかわらず
法律を遵守しない方の情報が耳に入るたび
どうして?
と、素朴な疑問がわき、落胆してしまうのを禁じ得ません。
ピアノに関して言えば、この過酷な気象状況のシンガポールで、出張でピアノを教えることを長い間継続していくことは決して簡単なことではないことを、私は長年の経験でイヤというほど痛感しています。
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体力的にも時間的にも、もちろん精神的にもハードですから、少しでも効率よく、できるだけラクをしたいと考える気持ちは理解できる部分もあります。しかし
あなたを一人前に育て上げようと指導に身を捧げてくださった、かつての恩師たちに対して顔向けができる生き方をしていますか?
と思わず問いただしてみたくなってしまう…..というのが正直、偽らざる本心であることには変わりありません。
さて、そろそろ本題に入りましょう。
みなさんは「ピアノの先生」という職業について、どのようなイメージをお持ちでしょうか。
かつての昭和の時代のサンプルを、いくつか例にあげてみましょう。初対面の方に職業を尋ねられ
「ピアノを教えています」
とお答えすると
「ほう、それは優雅ですね」
「ピアノを弾いて休日を過ごせるなんて贅沢ですねぇ」
「なんだか怖そう」
「家事ができるの?」
「包丁持ったことある?」
といった反応まで、実に様々です。
マンガなどでピアノの先生が登場することがあると、多くの場合、大きくて立派な家に住んでいたりします。
ソファセットの置かれたリビングに置かれたグランドピアノの蓋は常に全開。
床には観葉植物、天井からは瀟洒なシャンデリアがぶら下がっていたり。
ピアノの先生=ベルばらの世界を彷彿させるような、ヨーロッパの貴婦人のイメージがあるのでしょうか。(笑)
確かに、このような「中世の雰囲気」を漂わせているピアノの先生も、きっと世間にはいらっしゃることでしょう。
しかし
そうでないタイプのピアノの先生も大勢存在していることも事実です。
ピアノの先生という職業に上記のような華麗なイメージを抱いている方がもしいるとすれば大変申し訳ないのですが
実際、シンガポールの出張ピアノ教室の講師としての私の日常は少々(かなり?!)違います。
多くの場合、出張レッスンの時にはドレッシーな装いよりもカジュアルよりの格好で仕事に向かいます。
「え….ラフな格好では生徒さんや保護者の方に失礼なんじゃ?」
そんなお声が聞こえてきそうなのですが、これには《深い事情》がありまして。。。
指導の時、私は生徒さんの隣に腰掛けますが、しょっちゅう椅子から立ち上がったり場所を移動したりします。なぜかというと
生徒さんを右側から、あるいは左側から、あるいは後ろから、真横から、角度を変えてよく見るためです。
時には部屋の隅まで移動して、あえて離れたところから眺めつつ音の響き方を確かめたり、また違った角度からフォームを検証したり、あまりじっとしていることはありません。
また、導入期の生徒さんの場合は後ろから手を添えたり、一緒に体操のようなことなどもやります。
全身をわざと緊張させたり、また”だららん”と力を抜いたり。これはピアノの演奏に必要な「脱力」の基礎を覚えるため。
大きく息を吸ったり吐いたり、また、後ろにまわって腕や肩のストレッチをやったりマッサージをしたりもします。
そんな時、エレガント系の装いだと動きが制限されてしまい、とてもやりにくいのです。
このように、まったく優雅さや華麗さに欠けるピアノの先生としての仕事ぶりですが
よくよく話を聞いてみると、私の周りにいる同業の友人達も、同じような傾向の人が多いです。
世間一般のイメージ?とは裏腹に、意外と肉体労働なピアノの先生の実態がおわかり頂けましたでしょうか。
上に書いたような私のレッスンのやり方というものは、何十年もの、指導の現場での経験の積み重ねから自然に編み出した、私なりの指導の方法です。
例えば、100人のピアニストがいれば、そこには100通りの音楽が存在しますよね?!
同じように、100人のピアノ教師がいれば100通りの指導方法や教え方があると思います。
私は、ピアノを弾くには姿勢が何より大切との思いから、常に生徒さんの演奏フォームをチェックするのが習慣化しているので、常にあちこち移動しながら、演奏する生徒さんをいろいろな方向から見るようにしていますよ。
シンガポールの出張ピアノの先生を継続していくためには、容赦ない日差しや南国特有のスコールに負けない体力、気力が要求されます。
当ピアノ教室は開講から30年がたち、私は歳を重ねましたが、あの頃よりもレッスンのエリアは拡大しており移動に使うエネルギーも桁違いに増えているので、のんびり構えてなどいられません。
明日からの1週間も、シンガポールのピアノレッスン界を牽引すべくパワー全開で頑張ります。
空の笑顔が続くといいな♬
頑張ることを楽しむ心を育てる
当ピアノ教室のレッスンは、新時代にふさわしい、ワンランク上の心と音楽を学ぶレッスンです。
ピアノを学ぶことを通して、これからの時代を生きるために必要な「人間力」を育てます。