こんにちは。
シンガポールの出張ピアノ教室
fairy wish creation
塚越 則子(つかごし のりこ)です。

 

 

1992年来星。シンガポールPR(永住権)保有者。
シンガポールで1番長い指導歴の日本人ピアノ講師です。

 

 

プロフィール

 

 

今日は、シンガポールのピアノレッスンとは直接関係ない内容です。

 

 

 

数日前に目にした

 

【広瀬香美さんの歌う「ヒゲダン」の歌にファンが激怒している】

 

というニュースについて、ピアノの先生の立場から思ったことを、お話していこうと思います。

 

 

 

数日前のテレビ番組内で、歌手の広瀬香美さんが「ヒゲダン」の「pretender 」の弾き語りをした際、オリジナルと全く違うアレンジで派手なパフォーマンスを披露して、一部のファンの逆鱗に触れてしまったそうです。

 

 

 

広瀬香美に『ヒゲダン』ファン激怒!!「本家に失礼」「不快です」(2020年10月13日)|BIGLOBEニュース

 

 

 

広瀬香美さんは、昨年末にYouTuberデビューをして、その公式チャンネル内で、流行のJ-POPや時代を越えて歌い継がれている名曲を次々とカバーして、弾き語りを披露しているとのこと。

 

 

 

 

実際どんな感じなのか聴いてみようと思い、数曲選んで視聴してみました。

 

 

 

 

 

 

演出も多分に含まれていると思いますが、あゆの「M」では、全身全霊を注いで最後まで歌い切って倒れ込んだり、中島みゆき嬢の「時代」では感極まって泣いたりと、どれも迫真のパフォーマンスの目白押しです。

 

 

 

 

感想を一言で言うと、とにかく濃い!(笑)
オリジナルを一新した大胆なアレンジや、アバンギャルドな演奏は、好き嫌いが分かれるだろうな、という印象です。

 

 

 

親切とおせっかいの境界線?

 

 

 

パフォーマンスと併せて、音楽のプロの立場として私が注目したのは、全シリーズを通じて、広瀬さんが演奏前に、それぞれの楽曲の分析と解説や、聴きどころの紹介を行なっているところです。

 

 

 

 

広瀬さん自身、ボイス・トレーナーとして「広瀬香美音楽学校」で後進の育成に励んでいる実力派ということもあって、歌唱法や作曲技法に関して持っている豊富な知識を、歌の前に披露しているのですが、それを「親切」と取るか「おせっかい」と取るか。ここも大きく意見が分かれるところでしょう。

 

 

 

 

 

 

曲の分析や解説を聞くことは、例えて言うならば、フレンチレストランに行って、食事の前に食材の原産地や、それにまつわるエピソードを、シェフ以外のフレンチに造詣の深い別の人から聞かせてもらうようなもの。

 

 

 

 

背景を知ることは、料理への期待を高めたり、知識欲を満たす効果があります。しかしその一方で、聴きどころの紹介についてはどうでしょう。

 

 

 

 

全く別の人からシェフの思いを推し量って「この料理は、このようにできているので、このように味わって下さい」と、食べる前に解説が入ったとしたら、みなさんは、どう感じますか?

 

 

 

 

もし私だったら「そういうことは、あえて聞きたくないなぁ」と即座に感じてしまいます。先入観に囚われずに、自由に五感をフル活用させて、自分のペースで楽しみたいからです。

 

 

 

 

 

 

実際「pretender」の作曲法に関して、私自身が「よく考えられているなぁ」と感じているのは全く別の場所で、着目点がまるで違っています。

 

 

 

 

例えば、イントロとエンディングのピアノのメロディを、ほんの少し変化させて印象づけていることに「やるな♬」と思ったり、同じフレーズをリピートしながら変化させていく「ゼクエンツ」を多用して曲に統一感を生み出して、気持ちを徐々に盛り上げていく技法に「お主、知ってるな♬」と、感心したり。

 

 

 

 

 

このような「しかけ」を解説することは、手品師が、お客さんに商売がたきの手品の種明かしをしながら、手品師の視点から分析したお客さんへの効果や反応を、お客さん自身に説明していることに似ています。

 

 

 

 

 

音を純粋に楽しんで聴こうとしている人に対して、それらの情報は、助けよりもむしろ妨げになるので、言葉で論理的に解説したり分析すべきではないと私は考えます。

 

 

 

 

 

その時、その時に持っている自分だけの感性や好みと照らし合わせながら、歌の魅力を感じ取っていくのが、歌を聴く醍醐味だと思いませんか?

 

 

 

 

 

 

 

それらの中には、聴く人が感じても、感じなくても、どちらでも構わないけど、もし見つけてくれたらすごく嬉しいな♡、と思いながら、作品づくりの経過でこっそりと散りばめた「アーティストとしての自己満足的こだわり」を、じっくりと聴き込んで時間をかけて発見していく「宝探しゲーム」的な要素の面白さも含まれています。

 

 

 

音に説明はいらない

 

 

 

ピアニストがピアノの音に思いの全てを託すのと同じように、歌に思いの全てを託しているのがプロです。歌が全て、歌を聴いて何を感じてもらえるかが全てなので、言葉の「解説」は本来必要ありません。

 

 

 

 

オリジナル曲のアーティスト本人との対談を交えてならば、アーティストの考えが反映されるので話は別なのでしょうが、今回の企画はそのようなスタイルではないので、解説、分析、それに続くカバーの流れに、普段からアーティストの生き様に及ぶまで、トータルで一体感や共感を感じているコアなファンは、「入るべきではない、神聖な領域に土足で踏み込まれたような」違和感を感じてしまったのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

カバー曲のパフォーマンスの内容以前に、企画段階において「作る側」と「受け取る側」の意識にズレが生じてしまっているのが、そもそも問題の発端なのではないかしら、というのが、今回動画を見て私が思った率直な感想です。

 

 

 

 

ちなみに私自身、「ヒゲダン」の出身地の広島県は、年少時代の数年、父の転勤で暮らしていた経験があるため、格別に思い入れがある土地で、出身者ではないものの、ゆかりがあると言うことで、ご好意でお仲間に加えていただき、シンガポールの「広島県人会」にも所属しています。

 

 

 

「ヒゲダン」メンバーには私の住んでいた福山市の出身者もいます。いつも応援していますよ!