こんにちは
シンガポールの出張ピアノ教室
fairy wish creation
講師の塚越 則子です。
今日は、先日の投稿と少し関連した内容で書いてみたいと思います。
先日の投稿はこちら。
なぜかというと、昨日の出張レッスン先で、年少時代の記憶が蘇ったからです。
4歳のEちゃんのおばあちゃまが来星中で、ご在宅されていたため、レッスン冒頭にご挨拶をさせていただいたのですが、ご出身を伺いビックリ
広島県福山市
というではありませんか。
私が幼稚園、小学1年の1学期を過ごした
多治米町
のことも、もちろんご存知でいらして、通っていた
天使幼稚園
に至っては、弟さんが通っていらしたと伺い、さらにビックリ
ああ、何という偶然でしょう
私よりも少し先輩のようですが、もしかしたら、園長先生はじめ、先生方が被っていた可能性は充分にあり
かなりテンションが上がってしまった則子先生です。
幼稚園時代の忘れられないエピソード。
園庭に、どこかから子犬が紛れ込んできたことがありました。
真っ先にそれに気がついた、いたずらっこたちが棒を持って追いかけ回し始めたのを目にした途端、たまらなくなり
急いでみんなをかき分けて子犬のそばに駆け寄り、抱きしめて
「かわいそうだからいじめないで」
「こわがっているから、たたいちゃいけん」
(”いけん”は広島の方言で、ダメという意味)
と、周りを制し、大声で叫んでしまいました。
その時点で、やっと「騒動」に気がついた先生が、駆け寄ってきて一件落着。その後に、女の子たちだけで写したのが、この一枚です。
(私は上段の左から2番目)
引っ込み思案でおとなしい子どもでしたので、先生は、私の行動を意外に感じ、大変驚かれたようです。連絡帳にも、その様子が克明に記されていたほど
正義感が人一倍強く、たとえ矢面に立ってでも、危険をかえりみず不正に立ち向かっていく、生一本な性格は今も昔も変わりませんが
原点をたどれば、年少時代に憧れていた、ウルトラマンの世界観が、少なからず影響しているのかも知れません。
というのは冗談ですが…(笑)
前置きはこのくらいにして、そろそろ本題へ。
私は小学校時代に2回、転校を経験しています。
1度目は小学1年のとき。
2度目は小学4年のとき。
表立って理不尽な扱いを受けたり、激しくいじめられたりということはありませんでしたが、転校生として、それなりの「洗礼」は受けたように思います。
でも親には心配をかけたくなかったので黙っていましたし、そんなものだと子どもなりに悟っていました。そのような背景もあり
私はシンガポールに移り住み、転校生となった子どもたちや、これから日本に本帰国したり、他国にスライドして新しい環境に飛び込んでいかざるを得ない宿命の子どもたちの気持ちが、手に取るようにわかります。
小学校4年生のときの転校は、いま思い返しても辛かったです。なぜなら
3学期からの転入だったから。
クラスメイトと思い出を共有することができず
自分だけひとりぼっち、置いてけぼりの気分を、毎日、イヤというほど味わいました。
おそらく、みんながひとつにまとまった、雰囲気のよいクラスだったのでしょう。
だからこそ、よそから入ってきた転入生にとっては、何かにつけて過酷な環境でした。
どんなに頑張っても、ひとりだけ浮いてしまいます。
知らないことばかりなので当たり前です。
実は今でも「私1人だけが知らされてなかった」とか「ずっと黙って秘密にされていた」という状況に、人一倍寂しさを感じてしまいます。
当時の担任の先生は、まだ若く、児童から慕われていてクラスの団結にプライドを持っていたことが子どもながらにわかりましたので
1年の思い出を振り返って、文集を作るということが学級会で決まったとき
遠足や運動会、休み時間の遊びに至るまで、クラスに何も思い出がないので
何を題材に作文に書いたらいいのかわからない
ことを先生に伝え、どうしたらいいのかを尋ねることを、自分だけチームワークの輪を乱して、盛り上がりに水を差すようで申し訳なく感じ、妙に気を使った覚えがあります。
意を決して尋ねると無表情で
「あなたは好きなことを書いていいです」
と、その一言しか返ってこなかったとき、愕然として、しばらく立ち尽くしてしまいました。
突き放されたように感じてしまったのです。
ああ、やっぱりわたしは仲間には入れないんだ、一員として認めてもらってない
と、部外者の烙印を押されたようにさえ感じました。
それくらい、転校生の気持ちは繊細で敏感なのですよ。
もちろん担任の先生も人間ですから感情がありますし、完璧ではありませんので責める気持ちは全くありません。ただ
気持ちを受け止めてもらえた、寄り添ってもらえたと感じるような
たとえば、ほんの少しの笑顔や掛け声があれば、緊張もほぐれたのになぁと。
私には小学4年生の3学期、校内で居心地よく過ごした記憶がありませんが、だからこそ学んだことがあります。
時が過ぎ、ピアノの指導者になったいま、子どもたちと接するときに真っ先に私が心を砕くのは、一人一人の
心のケア
であり
健全な心を育てること。
技術云々は、その先。
まず心の土台がしっかりとできていれば、おのずとついてきます。
当時の私には転校先で「ピアノを習っているよ、あなたは?」
と尋ねる勇気も知恵もありませんでした。
でも、当ピアノ教室のリトルピアニストたちには堂々と胸を張って
私はピアノが得意です。
と宣言してほしい。
そう
みなさんにはピアノがあることを、ピアノがついていることを、いつも忘れないでほしいのです。
ピアノを通じて、どこにいても、誰といても良い関係が築けることを目指して、共に励んでいきましょう
私たちは、同じゴールを目指すチームです
◆毎回大反響をいただく昔の写真シリーズ◆
1988年、成田空港にて。
おそらく香港か台湾への出張のフライト前の一枚。当時はYAMAHAのデモンストレーターとして、国内外で演奏をしたり、社員さんや先生方への研修講師として活動していました。
どこよりも手厚く、きめ細やかなピアノ指導で、シンガポール在住日本人ご家族との信頼の絆を築いて34年。
頑張ることを楽しむ心を育てる
当ピアノ教室のレッスンは、ワンランク上の心と音楽を学ぶレッスンです。
ピアノを学ぶことを通して、これからの時代を生きるために必要な「人間力」を育てます。
当ピアノ教室は、300人以上の生徒さんたちを育て上げた経験を持つ、シンガポールで一番長い指導歴の日本人のピアノの先生が主宰している出張専門のピアノ教室です。
1992年来星。シンガポールPR(永住権)保有者。
指導方針