こんにちは。
シンガポールの出張ピアノ教室 fairy wish creation
講師の 塚越 則子です。
シンガポールが今のような経済発展を遂げるずっとずっと前。
オーチャードにはタカシマヤもなく、マリーナエリアは海で、もちろんベイサンズもなく
MRT は東西南北に十字に走っているだけで
二階建てバスにはエアコンがない
もっといえば
インターネットは、まだ一般家庭に普及しておらず
携帯電話なんて夢のまた夢。
私がこの地への移住を決めたのは、そんな、ないない尽くしだった1990年初頭です。
みなさんは信じられないかも知れませんが、当時のシンガポールには日本料理店は数えるほど。本格的イタリアンのお店は一軒も存在せず
シンガポーリアンの友人に食事に誘われて「パスタが食べたい」と、わがままなリクエストを出したら、「いいお店があるよ!と連れていかれたのは、なんとピザハットでした😳
それでも、とても嬉しかったことを覚えています。
当時の外食といえば、アウトドアのホーカーがメイン。
エアコンのきいたショッピングモール内のレストランは、どこも高級で、とても敷居が高かったからです。
ピザハットの位置付けも今とは異なっていましたよ。
フードコートが出現したのは、それからほどなくしてです。
一号店はスコッツロードのビルの地下。「Picnic」という名前で、ビーフヌードルのお店が流行っていて、価格設定は若干高めでしたが、長い行列ができていたのを通勤途中によく見かけました。
当時から流行発信の中心として大勢の人たちで賑わっていたオーチャードエリアに位置する、由緒あるホテルの一つGood wood park Hotelで、専属ピアニストとして働いていた私は
常連の日本人のお客様に声をかけていただいたことをきっかけに、シンガポールで初めての、生徒さんのご自宅でピアノを教える「日本人のピアノの先生」として独り立ちすることになりました。
まだ20代でした。子どもたちの音楽人生を預かる責任ある立場になる覚悟を決めたのだと身が引き締まる思いがしたものです。
以来、数えきれないほどたくさんの決断をして歩んできました。
誰もやったことのない挑戦には正解がありません。
右に進んでも左に進んでも、その先には成功も失敗もある。
しかし「自分が選んだ道を正解にする」しかありません。
選んだ道を正解にする為の施策を全て打ち、全力を尽くすのが、音楽教室を束ねるリーダーの努めだと信念を持って踏ん張ってきました。
30年続けてきて…もがき苦しむことには、だいぶ慣れたかなと自負しています。
もともと我慢強いタイプです。
いまだに、いろいろなことに悩んだり凹むことだってあるけれど、しぶとくまた起き上がって(笑)その繰り返し。
「あんまり無理をしないで」とよく言われますが、無理していなければ倒れそうな時だってあります。
ここで無理をしなければ、いつ無理をするの?
そう思ったりもします。
シンガポールに移住する直前まで私はヤマハのデモンストレーターとして各地で演奏をしていました。
「愛は勝つ」は、その頃何回も演奏しました。
とても流行っていたので、イントロを弾き始めた途端、大勢の人たちが周りに集まってきて演奏が終わると拍手が沸き起こったことも度々ありました。
シンガポールでピアノを指導する立場になってからも、発表会の全員合唱で「愛は勝つ」を歌ったことが3回あります。
なぜこの曲を選んだのか覚えていませんが、おそらく曲の力にあやかりたい心境だったのだと思います。
この曲には、メロディにも歌詞にも不思議な力が宿っているから。
「心配ないからね」
の歌詞は、まるでおまじないのようです。
先頃、「愛は勝つ」を生み出したKANさんは空の人になりました。
しばらくおやすみになった後は、持ち前のユーモアとともに、制限のない世界で自由に伸び伸びと思う存分弾くことや歌うことを堪能されることでしょう。
心のお守りのような「愛は勝つ」。
これからも大切に慈しみながら奏でていきますね。
様々な経験を経て「いい歳」になった今
必ず
最後に
と、繰り返し強調しているフレーズが、より胸に深く刺さる 則子せんせーです。
日々の暮らしを、より豊かで実りあるものにするために、音楽でみなさんのお役に立ちたい✨
どこよりも手厚く、きめ細やかなピアノ指導で、シンガポールの駐在員日本人ご家族との信頼の絆を築いて32年。
頑張ることを楽しむ心を育てる
当ピアノ教室のレッスンは、ワンランク上の心と音楽を学ぶレッスンです。
ピアノを学ぶことを通して、これからの時代を生きるために必要な「人間力」を育てます。
当ピアノ教室は、300人以上の生徒さんたちを育て上げた経験を持つ、シンガポールで一番長い指導歴の日本人のピアノの先生が主宰している出張専門のピアノ教室です。