こんにちは。
シンガポールの出張ピアノ教室
fairy wish creation 講師の
塚越 則子(つかごし のりこ)です。
当ピアノ教室は、シンガポールで最も長い指導歴を持つ日本人のピアノの先生が主宰している、出張専門のピアノ教室です。
1992年来星。シンガポールPR(永住権)保有者。
シンガポールは日本とピアノ教室の事情が異なり、法律により、講師の自宅でお教室を開講することは認められていません。
当ピアノ教室は、シンガポール政府の定めた法律を遵守した、講師が生徒さんのお宅に出向いてレッスンを行う、出張ピアノ教室です。
講師 塚越 則子(つかごし のりこ)は、ヤマハ認定グレードにおいて、ピアノ、エレクトーンの演奏、指導共に最高位のグレードを保持する指導者であり、鍵盤楽器のプロフェッショナルです。
昨日は、父の12回目の命日でした。
実は、5月25日は、父の誕生日でもあります。
もし、この世に生きていたら、ちょうど90歳を迎えたことになります。
几帳面で折目正しい性格だった父は、まるで綿密に計画していたかのように、誕生日の日の夜中に空の世界へと旅立ちました。
息を引き取る前の年に母の3回忌を済ませたあとあたりから身体の不調を訴えるようになり、治療の効果も思わしくなく、結局回復することはありませんでした。
その時に手配できる最速のフライトで帰ったのに「則子にいいたいことがある」と聞いていた、その内容を直接父の口から聞くことはできませんでした。意識はあっても言葉を話すことができなくなっていたからです。
「今朝までは、ご機嫌で歌を歌っていらしたのに・・・」
看護婦さんによると、私が病院に到着する数時間前に、ガタンと状態が悪くなってしまったのだそうです。
結局、父が何を伝えたかったのか、正確なことは今もわかりませんが、口の動きで想像して「言いたかったのはこのことだ!」と、ピーンときて、私の中で答えは出ているので納得しています。それは父と私しか知らないことです。
あちらでは母と仲むつまじく過ごしているに違いないと思うと、一瞬心が救われるような気持ちになる反面
見送った当時に感じた、海外に暮していることへのもどかしさが時々脳裏に蘇り、忸怩たる思いに駆られることも事実です。
もう2度とお互いに同じ形で会うことはできないのだと思うと、その寂しさは決して言葉では言い表すことができませんね。
母がいなくなってからの父は、気難しくなったり不安定になることもありました。10日に1度くらいの割合で、週末に国際電話をかけては、お互いの近況を話したり、たわいない世間話をしたものです。
電話口の父は、最初は暗い口調でも徐々に元気を取り戻していたので、私は毎回安心して受話器を置いていました。つつがない日々を過ごしているとばかり思っていたけれど
私も子ども時代からよく知っている、父の幼なじみとは深い話をして、本音も漏らしていたようで
『そんなんだったら、娘さんのところに行ったらいいと、お父さんに言ってやったんだ』
『だけど、娘に迷惑をかけるわけにはいかないって』
というやり取りがあったのだと告げられ、愕然としたことを昨日のことのように思い出します。
辛さを胸に抱えながらも、懸命に前を向こうと日々過ごしていたのだと思うと、やり場のない切なさや悔しさが募ってきて、たまらない気持ちになりますが、たとえ不器用な形でも、最後まで、精一杯の愛情を示してくれた父への感謝に報いる生き方は、与えられた使命を誠実に全うすることだと信じています。
音楽と共に誠実に生きることが親孝行。
「誠実にまされる智慧(ちえ)なし」という言葉があります。
誠実と調べると、こんな言葉が並んでいます。
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誠実とは
うそ、いつわりがなく、まじめなこと。真心が感じられるさま。
何事にも真摯に向き合い、その言動に心がこもっていること。
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受けた恩に感謝し、その恩を何かのかたちで返していく努力をするのも誠実な生き方の現れです。
誠実に生きているからといって物事が全て思い通りに全てうまくいくわけではありません。
人間関係も同じ。時には誠実さがまっすぐに伝わらないことだってあります。
だけど、所詮こんなもんと斜に構えたり、うまく適当に流したり、ずる賢く立ち回って、裏でこっそり画策を企てたり、相手を欺いたりすることだけはしたくない。
どんな時も、私は誠実な関係を築くことをあきらめたくない。
それは、音という繊細で神聖な存在を扱っている1人としての、私なりのプライドでもあります。
どんなに頑張っても、音にはその人の素のままがあわられます。絶対に嘘をつくことはないのです。
いつも全力で私の音楽生活を支えてくれた父でした。
中学生の頃、指導者資格を得るためのエレクトーンのグレード試験の準備の時には、楽しみにしていた新車の購入を見送り、その年のボーナスを上級機種の楽器購入に充ててくれました。
どうしても休めない大型イベントの演奏の仕事の初日に高熱が出てしまった時は、遠くまで車で送り迎えをしてくれました。
陽気で冗談好きの父でした。
ボンタン飴が好きでした(笑)
私には、父を偲び、次の一時帰国でやりたいことが一つあります。それは
築地本願寺のパイプオルガンコンサートを鑑賞すること
父のお葬式の日、父の長年の友人だという、初めてお会いする方が「シンガポールにおられる娘さんですか?」と私に話しかけてきてくださり、こんなエピソードを伝えてくれたことを、今でもはっきりと覚えているからです。
「お父さんをお誘いして、昨年の暮れに、築地本願寺のパイプオルガンの演奏を聴きに行ってきたんです。とても楽しかったと言ってくださいました。
演奏を聴きながら涙を流しておられましたよ。お父さんの心に響くものがあったのでしょう。あなたの話もしていましたよ。」
今夜も、私は、全てのレッスンを無事に終えた1日の終わりに自分自身に問いかけるでしょう。
ちゃんと生きることができたかな
胸を張って堂々とまた両親に会える日を楽しみに。
さぁ、その時のために、もっと、たくさんおみやげ話を集めなきゃ♬