こんにちは。

シンガポールの出張ピアノ教室
fairy wish creation

講師の
塚越 則子です。

 

 

昨日、出張レッスンの移動中、タクシーの運転手さんから

 

 

「シンジ タニムラが亡くなったのか?」

 

 

と尋ねられました。

 

 

タクシーを呼ぶ時は、NORIKOの名前でブッキングするので、乗車すると ”日本人ですね”と話しかけられ、そこから雑談に発展することがよくあるのです。

 

 

 

アジア圏でも絶大な人気を誇る谷村新司さんですので、昨日の突然の訃報を受け、親日家のシンガポールの人たちの間にも動揺が走ったようです。

 

 

 

ローカルニュースでも報道されたとききました。

 

 

 

私がシンガポールに来星したのは1992年。

 

 

 

当時Good Wood Park Hotelの専属ピアニストとして活動していました。

 

 

 

則子先生のプロフィール

 

 

 

私が日本人とわかると、決まってリクエストがきたのが「昴」と「Say Yes」です。

 

 

 

昭和の時代の日本の歌謡曲は、今のJ-POPと違って作りがシンプルで覚えやすいので

 

 

 

聞いたことある曲は弾ける曲。

 

 

 

これは私たちの世界では暗黙の了解です。

 

 

 

「え、楽譜は? 」

 

 

 

なんて聞いていたら呆れられてしまい、次の仕事はもう来ないでしょう。

 

 

 

そこまでいかなくても、サササーっと一線を引かれてしまうことは確か。

 

 

 

いちいち楽譜を探したりなんてしていたら即戦力にならないですからね。

 

 

 

別に耳コピなんて大袈裟なことではなくて….

 

 

 

知ってるから弾く

 

 

 

ただ単純にそれだけ。

 

 

 

この2曲も、そんな存在でした。

 

 

 

毎日、いろいろな思いを抱きながら、そのときの気分でアレンジをしながら、違った弾き方をしていたことが懐かしく思い出されます。

 

 

 

シンガポールの出張ピアノ教室/恩送り〜来星直後のエピソードより。

 

 

 

シンガポール の出張ピアノ教室/1992年の来星当時を思い出して。

 

 

 

たくさんの方々に支えられて、今の私があります。

 

 

 

たくさんの曲に支えられて、今の私があります。

 

 

 

シンガポールに移住して以来、この30年余りの間、数え切れないほど「昴」を弾きました。

 

 

 

おそらく100回以上だと思います。

 

 

 

全て、お客様からのリクエストでした。

 

 

 

たった1人で生きる異国の地で「昴」が、たくさんの人たちとの触れ合いを運んでくれたのです。

 

 

 

私が初めて谷村新司さんの存在を知ったのは中学生時代。当時よく流れていた、アリスの曲の中でも最も思い出深いのは「遠くで汽笛を聞きながら」です。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

俺を見捨てた人を恨んで生きるより幼い心に秘めたむなしい涙の捨て場所を
さがしてみたい遠くで汽笛を聞きながら何もいいことがなかったこの街で
 
 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

多感な時期、この歌詞の主人公は一体どんな哀しみを抱えているのだろうと、あれこれ想像を巡らせたりしました。

 

 

 

大人になるって、色々と大変だなと。。。

 

 

 

当時は自分がまさか海外に住むことになるなんて思ってもいませんでした。

 

 

 

「遠くで汽笛を聞きながら」は一度も弾いたことがないので、いつかジャズっぽいアレンジのピアノソロか、歌とのデュオに挑戦してみたいです。

 

 

 

偉大なる音楽家、谷村新司さん。

 

 

 

素晴らしい曲の数々をありがとうございました。

 

 

 

これからもあなたの作品を大切に受け継いでいきますね。

 

 

 

心よりご冥福をお祈り申し上げます。