こんにちは。
シンガポールの出張ピアノ教室
fairy wish creation
塚越 則子(つかごし のりこ)です。

 

 

1992年来星。シンガポールPR(永住権)保有者。
シンガポールで1番長い指導歴のピアノ講師です。

 

 

プロフィール

 

 

指導方針

 

 

ピアノレッスンコース

 

 

 

今朝、目覚める直前に、ヤマハのショップの入り口で、エレクトーンを教えている夢を見ました。場所は、実際には存在していない、Somerset 駅直結のショッピングセンター内です。

 

 

 

 

 

 

夢の中で出掛ける時、玄関の鏡を見て、ものすごく寝癖がついている髪を気にしていると、「大丈夫よ、こんなくらい大したことないわよ、早くいってらっしゃい」と、背中越しに、懐かしい母の声がしていました。

 

 

 

私は2007年に母、2010年に父と、両親を相次いで、なくしています。母はまだ60代後半でした。

 

 

 

しばらくお墓にも行けないんだなぁ、と昨夜眠りにつく前にそんなことを思いながら寂しく感じていた気持ちが届いていたのかも知れません。

 

 

 

 

 

母は、幼い頃は、とても厳しかったけれど、20歳を越えたら、「1番近い、何でも語れる親友」みたいな関係の存在になりました。

 

 

 

 

 

 

にもかかわらず思い返してみると、シンガポールに来星してからは、どうしても言えなかったことが数々あって。。。

 

 

 

 

来星直後、仕事が決まる前に間借りしていたマレー系の家族の家は、当時お風呂がお水のシャワーで、肌寒い日は、意を決して入らなければいけなかったこと。

 

 

 

ピアニストになってからしばらくして高熱が出た時、近所には、シンガポールフードのホーカー(屋台)しかなく、食べ物を買いに行っても食べたいものが何も見つけられず、諦めて、水だけで2日間過ごしたこと。

 

 

 

鍵盤の状況の劣悪な中国製ピアノを試弾した途端に指を痛めてしまって、それを隠して発表会で無理をして弾いたら、その後に右手の自由がきかなくなり、歯ブラシやお箸を上手く使えなくなったこと。

 

 

 

病院で診察を受けたら数時間でウソみたいによくなったけれど、「次に同じようになったら切開手術だからね」と、ドクターに念を押されながら、手首に打たれた注射がとても痛かったこと。

 

 

 

 

。。。自分自身の力を試したくてシンガポールへの移住を決断し、たくさん現地のことを調べて、語学も勉強してきたはずなのに、実際に住んでみると言いたいことも満足に通じず、言われていることも聞き取れず。。。

 

 

 

一人暮らしデビューの最初の数年は、戸惑うことばかりの連続でした。

 

 

 

 

 

 

その頃は、まだ携帯電話もなく、日本の家族への電話は、いつも外の公衆電話からでした。

 

 

 

 

住んでいたYishunからMRT に乗って、遠く離れたRed Hillまで行き、駅構内の同じ場所から電話をするのが、お約束。

 

 

 

 

それは、電話をかけることを特別な楽しいイベントにすることで、いつでも思い立ったときに気軽に電話をかけたくなりそうな気持ちを律するために考え抜いた、私なりのアイデアでした。

 

 

 

 

$50(¥4,000くらい)のテレフォンカードの数字が、ものの数分で瞬くような凄いスピードでカウントダウンされていくのを見ながら、毎回私は、あらかじめ頭の中で、まとめて整理をしておいた、明るい話題ばかりを早口で、たくさん話しました。

 

 

 

 

取り止めのない会話でも、元気そうな声を聞くだけで幸せでした。受話器を通して、日本とつながっていると思うだけでなんとも言えない安心感に包まれました。

 

 

 

 

「うまくいってるからね。心配ないよ」

 

 

 

 

と言っているのに、話がひと段落つくと、決まって

 

 

 

 

「則子ちゃんは大丈夫。でも辛かったら、いつでも帰ってきていいんだからね」と、繰り返していた母でした。

 

 

 

写真は、一緒に旅行をしたパースのホテルの部屋での一枚。

 

 

 

 

その頃の私に、シンガポールに住んでいることがイヤで逃げ出してしまいたいほど辛かったことがあったのか、今となっては、もうすっかり忘れてしまったけれど、覚えているのは、母にそう言われるたびに

 

 

 

 

まだまだ私は頑張れる!

 

 

 

 

と思いながら、心の底から新たな力が漲ってくるような感覚に包まれていたことです。

 

 

 

 

一生懸命、捨て身でやって、もしも上手くいかないのならば、それは仕方ない。その時は潔く帰ったらいい。だから力の出し惜しみをしないで、いつも全力で取り組もう。

 

 

 

 

 

 

シンガポールに1人降り立った1992年6月10日、そう胸に誓ってから、あっというまに29年もの月日が流れました。

 

 

 

 

両親の待つ家はもうなくなってしまったけれど、両親が今いる場所で、2人に再会する時が来たら、久しぶりに、たくさん話をしたいです。

 

 

 

 

もういいから(笑)と、耳を塞ぎたくなるくらい、懐かしい声や笑い声を聞きたいです。

 

 

 

 

そこにピアノはあるのでしょうか?

考えてみたら、両親のためだけにピアノを弾いたことは、今までに一度もありませんでした。

 

 

 

 

次に会う時は、2人のためだけに演奏をしましょう。母はきっと大好きな「星に願いを」をリクエストするに違いありません。

 

 

 

 

 

 

小さなレストランを借り切って、フレンチを食べながら、ゆったりと聴いてもらいましょう。楽器を演奏したことのない両親でしたが、揃って音楽を聴くことが大好きで、私のピアノやエレクトーンの上達への協力を惜しむことは一切なく、いつも私を全身全霊で応援してくれていました。

 

 

 

 

空からは全てお見通しで、いろいろな出来事や心の動きを2人はもう知っていて、会話は答え合わせのようになるのでしょうから、もう強がる必要などありませんよね?

 

 

 

 

だから、その時は心の鎧を綺麗さっぱりと脱ぎ捨てて、子どもに返って思う存分甘えてみたいです。