こんにちは。
シンガポールの出張ピアノ教室
fairy wish creation 講師の
塚越 則子(つかごし のりこ)です。

 

 

 

 

 

11月に入りました。

 

 

 

 

 

2022年も、残すところあと2ヶ月です。

 

 

 

 

 

シンガポールは今朝、雨からのスタート。どうやら本格的に雨季に入ったようです。

 

 

 

 

 

 

さて、今年は、私がシンガポールでピアノ指導を始めて30周年の節目の年です。

 

 

 

 

 

 

そこで、当公式ブログでは現在、特別企画として、当ピアノ教室のあゆみを振り返って、歴代の生徒さん、保護者の方々から届いたメッセージをシリーズでお伝えしています。

 

 

 

 

 

【シンガポールで出張ピアノレッスン/30年のあゆみ】アニバーサリーイヤーに頂戴したメッセージより①

 

 

【シンガポールで出張ピアノレッスン/30年のあゆみ】アニバーサリーイヤーに頂戴したメッセージより②

 

 

 

 

シンガポールでのピアノ指導30周年企画、3日目の今日は、少し違った視点からのお便りをご紹介します。

 

 

 

 

メッセージを寄せてくれたのは、私の大切な友人の1人。横浜でご自身の音楽教室を営みながら、音楽家としても広く活動しておられる、大木明美さんです。

 

 

 

 

 

明美ちゃんは、シンガポールに移住する前、ヤマハのデモンストレーターとして活動していた時代の同僚であり、公私共に親しくお付き合いをさせていただいている、私にとってかけがえのない存在の人です。

 

 

 

 

ピアノの先生仲間の自慢をさせてください♬

 

 

 

 

今回、いただいたメッセージを読み、改めて来星までの日々を思い出しました。

 

 

 

 

 

あの頃のシンガポールは、まだ今のような経済発展を遂げる前の、のどかな赤道直下の小さな国でしたので、両親には、2年ほどかけて、ことあるごとにいろいろ説明をしながら、シンガポールの良さ、未来性などを語り、安心して見守ってほしい気持ちを根気強く伝え続けたことを覚えています。

 

 

 

 

 

 

今、この歳になって思えば、一人娘を海外に出すなんて、想像を超える寂しさで、不安や心配も尽きなかっただろうと思いますが、その心情を直接確かめることのないまま、2人は空の人となってしまいました。

 

 

 

 

 

 

どんなときも変わらず娘を信じ、ただ純粋に、一途に幸せを願って、ありったけの愛情で支えてくれた両親です。

 

 

 

 

 

仕事関係で接点のある方々や親しい人たちに、シンガポールへの移住の計画を打ち明けると

 

 

 

 

 

「そんなところに1人で行って、ホントに大丈夫なの?」

 

 

「ちゃんと暮らしていけるの?」

 

 

「ダメならいつでも戻ってきていいから」

 

 

 

 

など、一様に不安を口にして、心配そうな人たちがほとんどだった中で、明美ちゃんは、すぐに理解を示して親身になって話を聞いてくれたり、折に触れて心の支えとなってくれました。

 

 

 

 

 

移住の話を伝え聞いたヤマハの「お偉いさん」は直々に「則子ちゃんの力になりたい」と、シンガポールヤマハの社長さんへの紹介状をしたためてくださいました。

 

 

 

 

 

 

しかし私は、生意気にも、そのありがたい一筆を拝受しただけで、ヤマハとは以前同様の関係を続けながらも、お世話になることはありませんでした。

 

 

 

 

 

体当たりで挑んだ末に得たシンガポールでの最初の仕事は、とあるホテルの専属ピアニスト。

 

 

 

 

 

オーナーさんに演奏を聴いていただき、その場で年間契約が即決しました。

 

 

 

 

 

観光での滞在が許されているビジターVISAの期限が切れる、わずか1週間前のことです。

 

 

 

 

 

せっかくの《強力な後ろ盾》を利用しなかったなんて、あなた、ばかじゃない?

 

 

 

 

 

確かにそうかもしれません。

 

 

 

 

 

でも、私は、子ども時代から培ってきた業界での経歴に頼らずに、私を全く知らない人たちの中で道を切り拓いて、何もない、誰も知らない中で、自分の力がどれだけ通用するのか試してみたかった。

 

 

 

 

 

自信があったのかと問われたなら、答えはYesでもありNoでもあります。

 

 

 

 

 

全力で頑張って、それでもダメなら日本に帰ればいい。

 

 

 

 

 

しがみついてまで、ここにいることはない。きっとそれは縁がなかったということだから。

 

 

 

 

 

そう思っていました。

 

 

 

 

 

だけど確かなことは、あのときの私を支えてくれた人たちがいるから今の私がいるということ。

 

 

 

 

 

いざとなったら全てを諦めて日本に帰る選択肢だってある、それは恥ずかしいことじゃない

 

 

 

 

 

そう思うと

 

 

 

 

 

まだまだ限界まで来てない、もっと頑張れる、大丈夫!

 

 

 

 

 

と、身体の奥底から力がみなぎって、余裕すら感じたことを覚えています。

 

 

 

 

 

明美ちゃん!

 

 

 

 

 

来星まもない頃、突然電話をかけて驚かせたことがあったね。あのときは、変わらない話し声を聞いて、とても元気をもらったよ。本当にありがとう。

 

 

 

 

 

驚くような速さでどんどん減っていく、公衆電話の液晶の数字に怖気付きながらも

 

 

 

 

 

数字が1桁になる前に、気持ちを立て直そう!

 

 

 

 

 

それだけを必死に考えて、明るい話題ばかりを早口でまくし立てるように語り続けた、あの日の朝の空気が懐かしく思い出されます。

 

 

 

 

 

明美ちゃんからいただいたお便りには、当時の流行に乗って挑戦した、ベリーショート時代の写真もあります。

 

 

 

 

 

今とは全然イメージが違うので、びっくりされる方がおられるかも….笑

 

 

 

 

 

明美ちゃんからのお便りは、下の「のりちゃんへ」の文字をクリックしてお読みください♬

 

 

 

 

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