こんにちは。
シンガポールの出張ピアノ教室
fairy wish creation
講師の塚越 則子です。
子どもの頃にピアノとエレクトーンを習っていたK先生が、ある日、母に
「音には、その人の性格が、そのまま現れるのですよ」
というようなことを話していたことがあります。
指導者の立場になり、それなりのキャリアを積んだいま
なるほど、そういうことだったのか✨
と、深く納得している自分がいます。
実際私は、かなりの情報を、弾き方から読み取ることができます。
この30年あまり、たくさんの人たちとピアノを通じてかかわってきて、音から、目の前の人の物のとらえ方や取り組み方を推察する力が年々強化されてくるのを実感するたび、やっぱりそれは日々
真剣に
真心で
一人一人と接してきたからに他ならないと、密かに自負しています。
ただ漫然と「こなしている」だけでは能力は磨かれなかったはず。
性格がわかるといっても粗探しをするわけではありませんので、どうぞご安心ください💝
いいところにフォーカスするのが則子先生のスタイルです。
良いところを伸ばしたい
その子の持ち味を活かしながら。
だから、もっと、この子のことが知りたい!!!!!
と思いながら心の目を大きく見開いています。たとえ幼い初心者であっても
• 音の出し方
• フレーズの取り方
• テンポ感・拍感
• 音色
• バランスの作り方
に注目すると、その子の気質が透けて見えてきます。
慎重ですね
几帳面ですね
繊細ですね
きれい好きですね
思いやりがありますね
といった、表面的な気質はもちろんのこと
意外と〇〇といった、裏のキャラまでも見通せることがあります。
「え、どうしてそんなことがわかるのですか????」
と、おうちの方に驚かれることも珍しくありません。
経験を積んだ心理カウンセラーや優秀なお医者さんは、パッと見たり問診で色んな情報を読み取りますよね。
ピアノも同じで、指導する立場ならば、演奏を聴いて
◉この子はどういう傾向があって
◉どういうことを悩んでそうで…
ということが、音から読み取る力が備わってこそ、本物の指導のプロなのだというのが私の自論です。
ピアノに限ったことではありませんが、何かに本気で向き合うと壁にぶつかることもあるし、嫌なこともあるので、良い面だけではなく、素のままの本性が、おのずとさらされます。
練習の過程では、その方法に始まり得意、苦手な箇所などで、取り組み方に一人一人違いが出てきますので
言葉を介さなくても、思っていることが自然と行動パターンに滲み出てしまうものです。
引っ込み思案で大人しくて、なかなか自分の思っていることが伝えられないお子さんの場合、何かを習わせるとき、おうちの方は
「親の私が説明しないと先生に分かってもらえない」
「黙っていたら誤解されてしまうかもしれない」
と、つい不安になったり、肩に力が入りがちなのではないでしょうか。
みなさんは信じられないかもしれませんが
実は、小さい時の私は、とても人見知りで大人しく、レッスンのとき、先生の前に出るといつも小さな声でしかご挨拶ができずに、母に叱られてばかりいる子どもでした。
「大きな声でハキハキとしゃべりなさい」
と言われて、毎回「今日はそうしよう」と固く決意しても、先生の前に行くと、なぜか声がうまく出ないのです。先生のことが好きで好きでたまらないのにです。
K先生は優しくて美しくて清らかで、まるで天使のような女性で、私の憧れでした。(K先生は38歳の若さで病に倒れ、本当の天使になられました)
どうしてあんなに緊張していたのでしょうね。
自分でもよくわかりませんが、きっと子どもって「そんなもん」なのでしょう。
一生懸命に理由を考えても、口で説明できない感情が渦巻くときがあるんです。
だからね。
私は、K先生が
「音には、その子の性格が、そのまま現れるのですよ」
と母に話をしているのを隣で聞いたとき、子どもながらに
「ああ、それならよかった😃」
って心底ホッとして、心が軽くなったんです。
「いちいち言葉にしなくていいんだ」
「だって、K先生は音で私の気持ちを、ちゃんと分かってくれているんだから」
って嬉しくなったんですよね。それで
「だったらもっと頑張ろう」
「頑張れる」
って、スイッチが入ったんです。なんとも単純ですよね(笑)
おそらく母も同じように、K先生の一言に「救われた」のかなと思います。
どうしてそんな話題になったのか、その経緯は全く覚えていませんが
K先生は、K先生なりのやり方で、私たち母娘の心をほぐそうとしてくださったに違いない
同じ立場になったいま、私はそうはっきりと断言することができます。そう考えると恩師の愛って、想像以上に深いですよね。
私はこれからも、私の音に命を吹き込んでくださったK先生に対して頭が上がりません。
振り返ればいつもノロマで鈍臭く、幼稚園や小学校でも、すばしっこい子に出し抜かれたり、サッと素早くいいとこ取りをされてばかりで
それでも怒るでもなく、悔しがるでもなく、黙って、ただニコニコしてしているような子どもでした。母は「こんなことで世の中を渡っていけるのか」と、折に触れ大層心配していたようです。
そして、大人の前でいい子ぶりっこの仮面を被っている子に、裏でコッソリと陰湿な「ちょっかい」を出されたり、器用に立ち回りができる計算高い子に、都合よく振り回されるのを知るたびに、母は私以上に心を痛め
「この子に”お勤め”は無理だわ」
と早い段階で悟り、「親として何か道筋を作らなければ」と、ある種の焦りのようなものを感じてもいたようです。
決め手になったのは、幼稚園のときの初めての運動会の徒競走で、一番最後に走っていたお友達の隣で並走をして、ビリなのに満足感に浸っている私を見たことだと、のちによく話していました。
あの時のことは、私にとっても印象的な出来事だったので、今もよく覚えています。お友達の顔もしっかりと思い出せるほど。
最後に走っている子のことが気になるあまり、徒競走にもかかわらずルールを破り、大胆にも後ろを振り返って逆走をし、声をかけて励ましながら、その子のペースに合わせて、隣で一緒に並んで走りました。
揃ってゴールした時は嬉しかったですね。みんなが拍手をしてくれたことも忘れません。
園長先生から参加賞の縄とびを手渡された時は、まさに有頂天の極み。当時の私は5歳。それは人生で初めて味わう感情でもありました。
徒競走は速さを競うものだという概念が、当時頭に全くありませんでした。
おそらく「いっとうしょう」になるために走る、みたいなことは、練習の時に言われたと思うんですね。でも言葉では分かっていても、だからどうするのかまでは完全に理解していなかった。
だから、徒競走は「みんなで仲良く一緒に走ってゴールを目指すゲーム」なんだと勘違いしてしまったんです。
苦しそうにハァハァ言いながら後ろを走っている最後の子が心配でたまりませんでした。
「どうしてみんな知らんぷりして、どんどん先に走っていってしまうの?」
「あの子は一番最後で一人ぼっちなのに、みんな、それでいいの?」
「誰かがそばにいてあげなきゃ」
「それなら私が行く!」
とばかり、つい暴走してしまいました。先生方は、さぞかしびっくりしたに違いありません。
こんな性格がベースになって構成されている私ですので
ピアノレッスンで、負けん気を煽るような教え方は好きではありません。そもそも
上達するために他人を引き合いに出したり、比べる必要ってありますか?
音楽は勝ち負けを競うものではありません。
点数をつけて優劣を判断するものでもありません。
私がピアノを弾く理由。それは
誰かを打ち負かしたいでもなく
称賛を浴びたいからでもなく
自己顕示欲を満たしたいわけでもありません。
私がピアノを弾くのは
誰かと仲良くなりたいから
誰かに想いを届けたいから
です。
頑張ることを楽しむ心を育てる
当ピアノ教室のレッスンは、ワンランク上の心と音楽を学ぶレッスンです。
ピアノを学ぶことを通して、これからの時代を生きるために必要な「人間力」を育てます。
当ピアノ教室は、300人以上の生徒さんたちを育て上げた経験を持つ、シンガポールで一番長い指導歴の日本人のピアノの先生が主宰している出張専門のピアノ教室です。
1992年来星。シンガポールPR(永住権)保有者。
指導方針