こんにちは。
シンガポールの出張ピアノ教室
fairy wish creation 講師の
塚越 則子(つかごし のりこ)です。

 

 

 

突然ですが、弾丸スケジュールで、現在日本におります。

 

 

 

 

 

 

本日、2月18日の午後2時30分より、横浜みなとみらいで執り行われる姪の挙式、披露宴に親族として参列するためだけの、慌ただしい渡航です。

 

 

 

数日間、レッスンのお休みを頂戴しなければならなかったのですけれど

 

 

 

「おめでとうございます」

 

 

 

「どうか楽しんでいらしてください」

 

 

 

 

との温かいお言葉を多数頂戴し、心晴れやかな空の旅となりましたことを深く感謝いたします。

 

 

 

 

姪からも、くれぐれもよろしく伝えてくださいと申しつかっております。

 

 

 

 

さて

 

 

 

 

本日この記事を書くにあたり、みなさまにお伝えしたいことがございます。

 

 

 

 

私は、これまで幾たびか、この公式ブログでお伝えしているように、1992年の6月10日に、単身シンガポールに移住し、今年で31年目になります。

 

 

 

 

シンガポールに来たのは、それまで築いてきた音楽キャリアに甘んじるのではなく、新境地で自分の力を試してみたいと思ったことが最大の理由です。

 

 

 

 

一人暮らしへの憧れもありました。

 

 

 

 

当時、デモンストレーターとして籍を置いていた、ヤマハ株式会社の上司からは、「則子ちゃんの力になれることはある?」と尋ねられ、丁寧にご辞退したものの、シンガポールヤマハの社長さん宛ての紹介状をしたためてくださいました。

 

 

 

 

それは、30年経った今も、封を閉じたまま、お守りとして大切に保管しています。

 

 

 

 

体当たりで挑戦した、Goodwood Park Hotelのピアニストのオーディションで、その日のうちに採用していただくという幸運に恵まれ、プロ契約を結ぶことができた私ですが、実際に就労VISAが降りるまでには半年の期間を要しました。

 

 

 

 

当時は「20代だと若すぎる」との理由で、VISAがおりなかったり、審査に時間がかかるのが当たり前だったのです。

 

 

 

 

シンガポールで私たち日本人は、就労VISAなしで働くことは違法ですので当然できません。ですから

 

 

 

 

VISAが下りるまでは「無償でかまいません」と頼み込み、ほぼ毎日、ピアノを弾くために往復2時間かけて職場に通いました。当時住んでいたYishunのはずれからOrchardまでの往復の交通費は、もちろん自腹です。

 

 

 

 

それでも”弾かなければ、どんどん腕が落ちてしまうのではないか”という恐さの方が強かったので、迷いは一切ありませんでした。

 

 

 

 

マネージャーの計らいで、まかないのお食事を毎回出していただくなど、格別のご配慮を受けたことが、何よりもありがたかったことを覚えています。

 

 

 

 

就労VISAの発給を待つ間、貯金を切り崩しての生活は決してラクではなく、知り合いのつてを頼って、コモンルームの一室を間借りしていた家のシャワーにはお湯がなく、水だけしか出ませんでした。

 

 

 

 

雨季の時期は、さすがに冷たさに耐えきれず

 

 

 

 

「費用は負担するので、ヒーターを取り付けてもらえますか?」

 

 

 

 

と、オーナーに頼み込んでみましたが

 

 

 

 

「水場で電気を使うのはこわいから」

 

 

 

 

と、即座に却下されました。信じられないかも知れませんが、30年前のシンガポールには、まだそんな保守的な人たちもたくさんいたのです。

 

 

 

 

様々なことがあると覚悟の上での来星でしたので、文化の違いや生活環境の変化に対して激しく落ち込むことはありませんでしたが

 

 

 

 

それでも、ひとつ、ふたつ、みっつと、何故か立て続けに「なんだかなぁ」ということが偶然度重なることがあり、そんなときに決まって向かうのは、住んでいた場所から少し距離のある、とある駅の構内にある公衆電話でした。

 

 

 

 

母の声を聞くために日本に国際電話をかけるのは、必ずそこからと決めていたのです。

 

 

 

 

MRT を乗り継いでいった、少し郊外の駅に決めたのは、電話をかけるハードルを上げるため。

 

 

 

 

50ドルのテレフォンカードを使い切るまでに通話できたのは、ほんの数分でしたが、私にとって、その数分は、何時間にも匹敵する価値ある、至福の時間でした。

 

 

 

 

あるとき、当時3歳だった姪が電話口にでたことがあります。

 

 

 

 

私が来星するまで、姪たちは両親とともに、私と同じ家に住んでいたのです。

 

 

 

 

「おねえちゃん、いま、どこにいるの?」

 

 

 

「どうしてずっとかえってこないの?」

 

 

 

「はやくかえってきて」

 

 

 

 

あのときの姪の、少しうわずったような、戸惑うような口調を、今もよく覚えています。

 

 

 

 

 

幼い彼女に、こんな思いをさせているのだから、私は、すごすごと負けて帰るわけにはいかない

 

 

 

 

 

決意を新たにしたあの日、姪は、ただ1人、異国の地で音楽家として、これから生きていこうと必死にもがいていた私の魂を救ってくれました。本人は、今はもう全く覚えていないと思いますが…

 

 

 

 

姪が私を救ってくれたのは、このとき一度きりではありません。

 

 

 

 

母をうしなってからの数年、私は、どんなに頑張っても立ち直ることができない失意の中で苦しんでいました。

 

 

 

 

 

レッスンをしているときやピアノを弾いているときは集中しているので問題がないのですが、移動中に、ふと涙がこぼれることがたびたびあり

 

 

 

 

こんな情けない先生では生徒さんたちに申し訳ない

 

 

 

 

と落ち込み、自分を責め、すっかり自信をなくしていました。

 

 

 

 

そんなあるとき、姪から届いたメッセージに、ある曲のリンクが貼ってあったのです。

 

 

 

 

ミスチルの桜井さんが、ご自身の父親のために書き下ろしたと言われているこの曲は、それ以来、私にとって特別な存在になりました。

 

 

 

 

桜井さんご自身も、電車に乗っているときに詩が浮かんできて、書きながら泣いてしまったのだそうです。

 

 

 

 

 

実は今回、姪たちの結婚披露宴で、サプライズでピアノを弾かせてほしいと、誰にも内緒で式場に相談を持ちかけていました。

 

 

 

 

 

姪の結婚式でピアノを演奏をすることは、私のぼんやりとした、長年の夢でもあったのです。

 

 

 

 

 

ブライダルプレイヤーとしての経験もある私は、披露宴を仕切る仕事は《時間との勝負が決め手》であることを充分承知しているため

 

 

 

 

「どんな形でも構いません」「ご迷惑のかからない範囲で」と申し出たところ、お色直しのあとの再入場の貴重な5分を「余興」として確保いただけるとの連絡が入り、喜びいっぱいで、詳細の確認をとってみると

 

 

 

 

 

披露宴では「余興」を含む全ての進行は、あらかじめ新郎新婦に知らせる必要があり、サプライズの演出は受け付けないことに加え、叔母として”これなら遠慮させていただいた方がいいな”と二の足を踏むシステムがあることがわかり、やむなく願いを取り下げることにしました。

 

 

 

 

 

しばらくは、とても残念な気持ちでしたが、しかし、よくよく考えてみると私は、披露宴に足を運んでくださった大勢の方々から拍手喝采を受け、「シンガポールでピアノの先生をしています」と、華々しくご紹介いただき、光り輝くスポットライトを浴びて登場し、得意満面に「余興の演奏」がしたいわけではないのです。

 

 

 

 

ただ純粋に、姪たち夫婦を祝福したい

 

 

 

 

それならば、形にこだわる必要などありません。なぜなら

 

 

 

 

思いを叶える方法は、ひとつではないのだから

 

 

 

 

その思いに至ったとき、私の胸の中には、コロナ禍で、出張レッスンができなくなり、急遽オンラインレッスンに切り替えたときの熱く燃えたぎる思いが蘇りました。

 

 

 

 

 

私たち音楽と生きる人間にとって、最もふさわしい、心を伝える方法は、音に思いを託すということ。

 

 

 

 

 

どんなシチュエーションであっても。

 

 

 

 

 

こんな思いを抱いて生きている人がいることを、世間一般の、すべての人たちに理解してもらうことはできないかもしれないけれど…

 

 

 

 

 

わかってほしい、わかってくれる人だけに真っ直ぐに伝われば、それでいいのです。

 

 

 

 

 

パッと浮かんだアイデアは、ここでは秘密にさせてください。弾きたい曲はもう決めてありました。姪の大好きなミスチルのナンバーで、結婚式の定番として人気のある曲です。

 

 

 

 

 

どうせ弾くのならばと、ヤマハのプリント楽譜で、ピアノソロの上級の譜面を早速購入しました。

 

 

 

 

 

一生に一度きりの演奏ですから、自分の好きなように弾くよりも、難易度を上げて、高みを目指してみたかった。

 

 

 

 

 

入手したピアノ譜は、さすが、デモンストレーターの大先輩であり、現在はアレンジャーとして広く活躍しておられる石川芳さんが手がけたとあって

 

 

 

 

❤︎左手の音域が広いうえに、16分音符のすぐあとに10度(オクターブ+2音)の和音があったり

 

 

 

 

❤︎ちょっと聴いただけではわからない、アーティストならではのこだわりの難所が随所に散りばめてあり

 

 

 

 

なかなか練習のし甲斐がありました。

 

 

 

 

深夜、2日間という限られた時間の中で、電子ピアノで練習、録音まですべて完了させるというスケジュール上の制約も、スリルを与えてくれて楽しかったですし(←今だから言えるのかも… 笑)

 

 

 

 

アコースティックピアノでは考える必要のない、同時発音数についてやタッチの感度を考慮しながらの録音も、テクニックの研究になりました。一歩前進できたかな?

 

 

 

 

 

来星当時、姪と母の存在が救ってくれなければ、シンガポールで生きることを諦めて、日本に帰っていたかも知れないし

 

 

 

 

 

母をうしなったとき、姪が救ってくれなければ、もうとっくにピアノの先生をやめていたかもしれない

 

 

 

 

 

そんな事実を、私は今日、どうしても記しておきたいと思ったのです。

 

 

 

 

 

 

 

最後になりましたが、日頃より当ブログを熱心に応援してくださっているみなさまへの感謝の意をこめて、姪たち夫婦の、はれの日に捧げる演奏を謹んで、この場でシェアさせていただきます。

 

 

 

 

 

 

4分35秒の演奏に思いを込めました。

 

 

 

 

 

若い2人の輝く未来を願い

 

 

 

 

 

遠く海を隔てた南国のシンガポールからも、みなとみらいの澄み切った、早春の青空を思い浮かべながら、盛大なる祝福を送っていただけますと幸いです。