こんにちは。
シンガポールの出張専門ピアノ教室
fairy wish creation
講師の塚越 則子(つかごし のりこ)です。
音楽界に大きな波紋を広げた、ピアニスト・反田恭平氏のニュース。
皆さんは、もうチェックされましたか?
反田氏は昨年12月、東京都内の首都高速道路で、制限速度を84キロ上回る時速144キロで走行したとして、道路交通法違反の罪で在宅起訴されました。
10月6日に初公判が開かれ、反田氏は起訴内容を認めたと報じられています。
このニュースを知り、私がまず最初に感じたのは
至極、不愉快。
ということでした。
速度超過という行為そのものはもちろん、私が強い不快感を覚えたのは、昨年12月に起きたことが、今回の報道によって初めて広く知られることになったという点です。
その間、反田氏は「デビュー10周年記念ツアー」と題した活動を続けていました。
主催者をはじめとする関係者、そして、こうした事実を知らずに演奏会へ足を運んだ観客の方々。
その人たちに対して、誠実な対応だったのだろうか。
私は、どうしても釈然としません。
もちろん、裁判が終わるまでは慎重な対応が必要です。
今回の一件だけで、反田氏の人格すべてを断定するつもりもありません。
ただ、この報道をきっかけに、SNSなどで厳しい声が上がっているのも事実です。
「やっぱりね」
「人間性が出るよね」
「もう二度と聴きたくない」
そうした反応を見ると、今回の件が単なる交通違反にとどまらず、音楽家としての姿勢や信頼にも関わる問題として、社会に波紋を投げかけていることがわかります。
私の頭に浮かんだ言葉があります。
「思い上がり」
人は、周囲から高く評価され、注目されるようになると、自分が特別な存在であるかのような錯覚を起こすことがあります。
名前が知られる。
人が集まる。
大きな舞台に立つ。
そうした経験を重ねるうちに、
「自分なら大丈夫」
「自分くらいは許される」
そんな、勘違いの感覚が生まれてしまうことはないでしょうか。
私は、そこに強い危機感を覚えます。
ピアノが弾けたら、何をしても許されるのでしょうか。
もちろん、そんなことはありません。
どれほど世界的に評価されていても、社会のルールが特別扱いされるわけではありません。
音楽家であろうと、一般人であろうと、守るべきルールは同じです。
私は35年以上、シンガポールで子どもたちにピアノを教えてきました。
子どもたちに伝えているのは、ピアノの技術だけではありません。
約束を守ること。
自分の行動に責任を持つこと。
周囲への影響を考えること。
これらは、社会の中で生きていくための基本であり
ピアノが弾けるかどうか以前の問題です。
演奏ができても、人として守るべき一線を越えてよい理由にはなりません。
そして、もうひとつ。
芸術家というと、どこか変わっている人、常識にとらわれない人、というイメージを持たれることがあります。
私自身も、まあ、そこは自覚しています(笑)。
でも、
「変わっている」と「ルールを守らない」は、まったく別の話です。
個性や独創性は、芸術にとって大切なものです。
しかし、社会のルールを無視することは、個性でも芸術性でもありません。
私は、むしろ規則には敏感です。
なぜなら、音楽の世界で長く仕事を続けていくには、演奏技術以前に、社会人としての良識と責任感が不可欠だからです。
私が35年間、出張レッスン一筋を貫いてきた理由
私はシンガポールの住民のひとりとして、この国の法律や規則を遵守して、これまで生きてきました。
外国人であっても、いいえ、外国人だからこそ、住まわせていただいている国の決まりを尊重し、守る責任があると考えています。
シンガポールの政府機関であるURA(都市再開発庁)の Home Office Scheme では、自宅を事務所として利用する場合の条件が細かく定められており
自宅で音楽教室を営業することを認めていません。
だからこそ、fairy wish creation では、法に従い、自宅をスタジオと称して生徒さんを教えることをいたしません。
35年以上にわたり、出張レッスン一筋を貫き、現在に至ります。
手間がかかっても、効率が悪くても
守るべきルールは守る。
これは特別なことではなく、社会人として当然のことです。
自分に都合のよい方法を選ぶのではなく、定められたルールの中で仕事を続ける。
だからこそ、今回のように、たった一人の音楽家の行動によって、音楽家全体まで「そういう、いい加減な人たちの集まり」と見られてしまうかもしれないと思うと、不愉快でたまりません。
真っ当に仕事をしている人間まで、同じような目で見られる。
もちろん、それは正しいことではありません。
それでも、世間の目というものは、一つのことをきっかけに、業界全体へのイメージそのものを変えてしまうことだってあるのです。
だからこそ、音楽家一人一人が自覚を持ち、業界で生きる者として、自分の行動に責任を持たなければいけない。繰り返しますが
音楽家だから許される、なんてことはありません。
将来、音楽家を目指す子どもたちがいます。
大きな舞台に立ちたい。
世界で活躍したい。
ショパン国際ピアノコンクールのような舞台を目指したい。
その夢は、素晴らしいものです。
しかし、そこで得られる評価や名声は、社会のルールを免れる特権ではありません。
「ショパンコンクールで2位になれば、何をしても許されるんだ」
そんな誤った認識を、子どもたちに与えてはならないのです。
優れた演奏家になることと、社会の一員として責任ある行動を取ること。
この二つは、決して切り離せません。
だからこそ、今回の一件は、社会的責任という観点からも、毅然とした対応が求められると私は考えます。
そして、これは私自身の音楽教育にもつながる話です。
fairy wish creationでは、ピアノが上手に弾けるようになることだけを目標にはしていません。
音楽を学ぶ人間として、社会の中でどう生きるのか。
子どもたちに何を伝えるのか。
自分の行動に責任を持ち
他者を尊重し
守るべきルールを守る。
そうした人としての土台も、子どもたちの成長に欠かせないものだと私は考えています。
ピアノの技術は、練習によって磨くことができます。
しかし、どれほど高い技術を身につけても、それだけで人としての信頼が得られるわけではありません。
音楽を学ぶことを通して、人としての土台をつくる。
それが、35年以上にわたり子どもたちと向き合ってきた、私の音楽家としての姿勢です。
最後に、反田氏へ。
ご自身の行動が社会や業界に与えた影響と
真摯に向き合い
どうぞ、心から猛省してください。





